元テレビ朝日アナウンサーで、法務部長をつとめた西脇亨輔さんは、2023年11月に28年間の「サラリーマン」生活を終えて、西脇亨輔法律事務所を開業。今後は弁護士業のみならず、法律の知識やマスメディアでの経験を生かしたジャーナリストとしての活躍が期待されています。

また、自局の看板番組に出演する人気コメンテーターを相手に、最高裁まで争い勝訴した裁判の記録『孤闘 三浦瑠麗裁判1345日』(幻冬舎・刊)を上梓。法律家とアナウンサーさらには著作業というまったく違う「職業」を歩むなかで、つちかったスキルや経験が助けてくれることがあるといいます。

取材は2023年10月に実施しました。前後編にわけて公開します(本記事は後編、前編はこちらから)。

現実的な進路では、ない……しかし!

ーーご実家を離れて独り暮らしをしていた司法修習期間に、初めてテレビをじっくりとご覧になったことがアナウンサーを志望したきっかけだそうですね。

西脇:実はそれまでまったくテレビを観ることがなかったんです。それが初めての独り暮らしでテレビを観始めたところに、突然、当時話題を独占していた久米宏さんの『ニュースステーション』(1985年から2004年にかけてテレビ朝日系列で放送されていた報道番組)と出会って。

ドラマやバラエティも面白かったけど、報道は現実そのものです。人の心の揺れがダイレクトに伝わってきます。視聴者として、共感や感動を覚えました。画面の向こう側に行って、さまざまな人の喜びや苦しみ、リアルを視聴者へ伝える側になりたいと思ってしまったんです。

ーー報道アナウンサーの道が突然現れたんですね。

西脇:我ながら、完全におかしな道が現れました(笑)。夢物語でしたね。現実的な進路ではありません。もちろん、とても悩みました。

テレビ朝日に願書を郵送したときは、郵便局の時間外窓口の前で、応募締切日の夜中12時直前まで迷っていました。あと5分で締切日の消印をもらえなくなり応募資格がなくなる、という時に郵便の窓口に出した記憶があります。今思えば、願書を出したところで受かる訳じゃないのにね(笑)。

ーーしかし、進路変更は簡単な決断ではありません。

西脇:結果よりも「あの時、願書を出さなかった」って後悔する人生は「取り返しがつかない」と思ったんでしょう。

これは三浦氏との裁判の訴状を裁判所に提出したときと同じ気持ちです。「やっておいたらよかった」と後から思うときの「やるせなさ」は、なにか大切なものを失ったようにも感じます。