憲法は同性婚を禁止していないーーにもかかわらず、憲法を“防波堤”にする政治家の本音

同性婚反対者からしばしば持ち出される、もう一つの「理由」が「憲法」だ。

憲法24条は「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」する、とある。自民党の世耕弘成参院幹事長は今月10日の記者会見で、この条文を挙げて、「読む限り、今の憲法は同性婚を認めていない」と述べた。安全保障に関しては現行憲法下で敵基地攻撃能力を認めるなど、自分たちが進めようとする政策に関しては極めて柔軟に憲法解釈を広げていく一方、結婚に関しては、逐語的に厳格で狭量な解釈を求めるのが、自民党保守派の特徴と言える。高市早苗経済安保担当相や松野博一官房長官も、「憲法は同性婚を想定していない」と強調し、憲法を同性婚阻止の防波堤として位置づける。

こうした主張について、南野森・九州大教授(憲法)は、「憲法制定時に同性婚は想定されていない、というのはその通りです」としたうえで、こう解説する。

「問題は、その先です。『(1)だから憲法は同性婚を禁止している』と考えるのか。『(2)国会の議論に任せる』のか。あるいは『(3)13条(個人の尊重、幸福追求権)、14条(法の下の平等)から憲法は同性婚を認めることを要請している』と解釈するのか。この3つが考えられるわけです。現在は、憲法は同性婚を想定はしていないが禁止もしていない、という(2)の考え方が(憲法学者の間では)多数です。裁判でも、同性婚の法制化を後押しする判断が出ています」

まず、2021年には札幌地裁で、同性婚を認めないのは憲法14条(法の下の平等)に違反するとの判決が出た。(3)の立場を支持する判断だ。

南野教授が注目するのは、(3)の立場に立った昨年11月の東京地裁判決だ。判決は、結婚や家族に関する法制度は「個人の尊厳と両性の平等に立脚して制定されなければならない」と定める憲法24条2項に着目。結婚すれば受けられる、家族としての法的保護を、同性カップルはまったく受けられていない現状は、「人格的生存に対する重大な脅威、障害」と指摘した。そのうえで、同性愛者がパートナーと家族になる法制度がないことは「違憲状態」と断じたのだ。

判決は、「憲法24条は同性婚を認める立法を禁止するものではない」と述べ、法制度を作ることは「社会的基盤を強化させ、異性愛者も含めた社会全体の安定につながる」として肯定的に評価した。その一方で、具体的な制度のあり方に関しては、国の伝統や国民感情を含めた様々な要因を踏まえ、子の福祉にも配慮して「立法府で十分に議論、検討されるべき」として、国会での議論を促した。

南野教授は、この判決が「(婚姻は)共同生活に法的保護とともに、社会的承認を与える」とした点にも注目する。

「同性婚を認めない現行制度の下では、同性カップルは社会に認められない生き方をしている人たち、というレッテルを貼られているようなものです。この問題は、非嫡出子(婚外子)に関しても起きました」(南野教授)

結婚していない男女間に生まれた非嫡出子は、従来の民法規定では、遺産相続が嫡出子(婚内子)の2分の1とされていた。最高裁が、「(子が)自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許され」ないとして、この規定を違憲とする判決を出したのは、2013年9月。それでも、自民党保守派は「家族制度が崩れる」などと、法改正に抵抗した。

フリーライターの武田砂鉄さんのレポートによれば、先の西田参院議員はテレビ番組で、「ちゃんとした家庭で、ちゃんとした子どもを作ることによって、ちゃんとした日本人が出来て、国力も増える」などと力説。非嫡出子は「ちゃんとしていない」、本来社会が認めてはならない存在であるというレッテル貼りが、民法改正で変わることへの抵抗を示した。もっとも、実際に民法改正が行われて以降、その種の主張を少なくとも表舞台で聞くことはなくなったのではないか。

同性愛に対しては、「気持ちが悪い」などといった差別と偏見に基づく嫌悪感も浴びせられる。SNSに「同性婚が気持ち悪いと言って何がいけないんですか。世の中には同性婚を気持ち悪いと思う人が殆どです」と書き込んだ愛知県議がいた。この県議は、昨年も同様のコメントをして、自民党会派を離党している。

今回、報じられた首相秘書官による「見るのも嫌だ。隣に住んでいたら嫌だ」も、同種の発言だ。秘書官は「同性婚導入となると社会のありようが変わってしまう。国を捨てる人、この国にはいたくないと言って反対する人は結構いる」などとも述べた。同性婚を導入すれば国を捨てる人が続出するような、これまた非現実的な脅しをする一方、具体的にどのように「社会」が変わるのかは、問われても全く述べられなかった。

というより、述べられないのだろう。同性婚を認めても、同性カップルが生きやすくなるだけで、それ以外の人たちの生活や社会のありように、弊害が及ぶことは考えられないからだ。

結局、同性婚の法制化拒否の本質は、このような差別と偏見に基づく「嫌悪の情」と変化を恐れる「怯え」なのではないか。「種の保存」「憲法違反」「社会が変わってしまう」など表向きの理屈は、嫌悪や怯えを覆い隠し、反対をもっともらしく見せるための、いわば方便にすぎない。首相秘書官の問題発言は、このような反対派の本音を如実に表して見せたように思う。