■サラエボ事件

 1914年6月28日、サラエボを旅行中のオーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が馬車で移動中にボスニアのセルビア人学生ガヴリロ・プリンツィプによって銃撃されて殺害された。

 しかしオーストリア=ハンガリー帝国の王位継承者を殺害するという彼の行動は、第一次世界大戦につながる一連の出来事を引き起こすことになる。

 プリンツィプは自殺を試みたが現場で地面に組み伏せられて果たせず、年齢を理由に死刑ではなく懲役20年が言い渡された。しかしプリンツィプは結核を患い片腕を失い1918年に23歳の若さで刑務所内で死亡した。

 プリンツィプはテロ組織「黒手組」によって訓練を受けており自由なユーゴスラビアを望んでいたというが、その真意と事件の背景には不明瞭な点も少なくない。