皆さんこんにちは、たびこふれライターのえいたです。
この夏に行った長野県の松本へ再び行ってきました。今回は、ヨーロッパからやって来た日本ツアーを企画販売しているツアー担当者の視察のお供で諏訪、木曽、松本を巡りました。
新型コロナウイルス感染症の5類感染症移行後、観光地は外出を控えていた日本人観光客に加えて多くの外国人が日本へやってきていますが、なぜ日本は外国人が行ってみたい国ランキングの上位にいるのかを垣間見たような旅でした。
目次
諏訪高島城(湖の自然よりお城の歴史に興味津々)
奈良井宿(重要伝統的建造物群保存地区に選定された宿場町)
諏訪高島城(湖の自然よりお城の歴史に興味津々)
長野県の視察は前日に諏訪湖畔の温泉旅館に宿泊していて周辺観光からスタートです
オリジナルの視察旅行の行程は「朝食後に諏訪湖畔を散策」でしたが、メンバー全員が「旅館の近くにある高島城をぜひ見学したい!」と希望があがり、急遽高島城を見学することになりました。
高島城ってどんなお城?
1598(慶長3)年、豊臣秀吉の家臣である日根野織部正高吉により築城されました。完成当時は、城のまわりは湖水と湿地に囲まれ、あたかも諏訪湖中に浮かぶようであったので、別名「諏訪の浮城」と呼ばれました。江戸時代初めに諏訪湖の干拓が行われ水城の面影は失われてしまい現在では住宅街の中にお城が建っている状況となっています。
この高島城ですが、春の桜の季節は周辺から多くの花見客が訪れる名所のようですけど、失礼ながら全国区ではないこの高島城が外国人の目に留まるところが、まさに目から鱗でした。
瓦葺ではない屋根のわけ
現在の高島城天守閣は復元ですが、かつての天守は独立式望楼型3重5階で、屋根は瓦葺ではなく檜の薄い板を葺く柿葺であったそうです。その理由は、諏訪湖畔の軟弱地盤で重い瓦が使えなかったからという説と、寒冷地である諏訪では瓦は凍って割れてしまうから等の諸説があるようです。
1970(昭和45)年5月に天守閣が復興された現在の復興天守は、窓の大きさや位置などの細部が異なり、屋根には銅板が葺かれています。
外国人は日本独特の伝統が好き
ヨーロッパ各地にも古城と呼ばれる城が各地にあります。誰が、どんな地位の人間が住んでいたか、城と周辺の地域の関りはどうだったか、などなど城の歴史や成り立ち以上に深掘りの質問がガイドにされていました。
彼らは日本に来る前に入念に準備を行ってから来ています。その土地の歴史や文化に触れることで、旅の後の印象がかなり違ってくるように感じました。
高島城の基本情報とアクセス
- 住所:長野県諏訪市高島1-20-1
- 天守閣入場料:大人310円/小人150円
- 開館時間:【4月1日~9月30日】9:00~17:30/【10月1日~3月31日】9:00~16:30
- 休館日:12月26日~12月31日
- アクセス:【電車】JR中央本線上諏訪駅下車し諏訪湖口から徒歩15分(約1km)/【自動車】中央自動車道諏訪ICより約5km(高島公園駐車場を利用)
奈良井宿(重要伝統的建造物群保存地区に選定された宿場町)
高島城のある諏訪から高速道路と一般道を走って木曽の奈良井宿へやってきました。
旧中山道の奈良井宿は、鳥居峠上り口にある鎮神社を京都側の端に、奈良井川沿いを緩やかに下りつつ約1kmにわたって町並みを形成する宿場です。
奈良井宿の京都側の隣の宿である薮原宿までは約6kmの山道で、江戸時代の旅人はわらじきの足を泣かせる中山道屈指の難所として鳥居峠は有名でしたが、現代ではハイキングコースとして整備されていて外国人観光客の姿も見られます。
資料館や商店、飲食店に入って街並みの内部を見学することもできます。
校外学習の小学生たちも訪れていました。
宿場のあちこちに水場がありました。
鳥居峠を行き交う人々と地域に人々の憩いの場だったとか。冷たい水が心地よかったです。
外国人は日本独特の景色が好き
ヨーロッパに行くと町の中心部の多くは数百年前と変わらない古い街並みです。その多くは石造りの建物だったりしますが、日本の木造の建物は彼らの異国情緒を最もくすぐるものの1つのようです。
少し前の日本なら、「古臭いから新しくしてしまえ」とばかりに建替えてましたが、こうした古い町並みや建築は日本人の私でも郷愁を覚えます。町ぐるみで宿場の姿を残している奈良井宿は素晴らしい日本の宝だと思います。
奈良井宿への行き方
- 【電車】JR中央本線奈良井駅下車 駅出口が宿場町の入り口となっている
- 【自動車】長野自動車道塩尻ICより国道19号線を約27km(無・有料駐車場が複数あり)