クーポン制の特徴をまとめると以下のようになる。

初期の平等が確保されている。 どのファンドを選ぶかに個人の自由な判断が示される。 配当の額にファンドのマネージャーの優劣が示される。 特定の個人が個別企業を支配することはできない。 長期投資が前提されている。 クーポンとクーポンで購入した株式の相続も贈与も許されない。

一定の年齢に達した国民にクーポンを配布するのは、最近多くの論者が主張するベーシックインカムの発想と同じである。(伊藤誠、2017)注5)

コルネオは市場社会主義の重大な欠陥にも気づいている。

市場社会主義の構想においては、今日、我々が知っているような、イノベーションの過程の中心的役割を果たす企業が欠落している。(同上書、p.244)

この欠落は、現代の日本でも、おそらく多くの国でも問題になっている。1970年代から、ベンチャー企業のブームが政策的に誘導されるのはそのためである。この点に関しては、(濱田(浜田)、1996)注6)を参照。

社会主義の失敗の一つの原因は、この、いわゆるアントレプレナーの不足である。だから未来の構想でも、その確保は欠かせない。人々が自発的に創造的な行動をとる仕掛けをいかに形成できるかにかかっている。

私的所有一般

生産手段は株式会社形態を改良した共同所有になる。これが、否定の否定の帰結である。

私達の構想は、資本主義の多くの制度を改良を加えて残すものだが、これには次のような疑問が生じるかもしれない。

資本主義の修正に過ぎない、というのがそれだ。しかし、所有形態は土台であり、生産は経済の土台だから、生産手段の所有形態の変更は、資本主義の否定にやがて行きつく。社会は、ゆっくりと“資本主義でない”方向に進む。それは国家所有でもないから旧来の社会主義とも違う第三の道である。

生産手段を共有化したとこで、資本主義の残存物を多く残してしまえば未来には到達しないという批判もあるかもしれない。ここでは、事態は唯物論の想定で進行するといっておこう。過渡期には、様々な要素が混合・混在するが、やがて土台にふさわしい構造物が出来上がる。これから歴史はゆっくり進む。社会主義の失敗、短兵急を繰り返してはならない。巨大な人口を支える生産力を維持しながらゆっくり前進する。気がつけば資本主義ではなくなっている。

社会主義の失敗も無駄になっていない。幸いシュトレークが言う、「買われた時間」(Gekauft Zeit、シュトレークの著書である『時間稼ぎの資本主義』の原題)はある。次の社会を創ろうとする社会的勢力が弱っているから、「買われた時間」は資本主義のロスタイムにすぎないかもしれないがともかく焦る必要もない。

その他の所有

生産手段以外の物財の所有はどうなるか。労働価値説によれば、物財はすべて労働の産物であるから、原則は労働を支出した人のものである(労働力 ⇒ 貨幣 ⇒ 私物)。こう考えると、自分の身のまわりの小さな所有物から住居に至るまで自分のもの、他人には使用させないし侵入させないという所有の考え方は合理的に見える。所有権は、近代になって各国で合理性を獲得する。フランスの人権宣言では「神聖・不可侵」が明記される。

しかし、その後のワイマール憲法では私的所有は社会的制約の下におかれ、これに学んだ日本国憲法でも「公共の福祉」への適合が求められる。

結論からいうと、この制約された私的所有権は、少なくとも過渡期の期間中は有効である。

土地所有

土地の私的所有というのは、最初から矛盾を含んでいる。明らかに土地は誰のものでもない。土地をつくった人はいない。同様に知的財産権というのも私的所有では片づけられない性質を共有する。発明者は、社会的な制度の下で教育を受けた人である。研究施設や協力者に恵まれたのである。ノーベル賞でもアカデミー賞でも、受賞者がメダルを受け取るスピーチで、例外なく協力者や、栄誉獲得の環境を作ってくれた人に、友人、両親への謝辞とともに、感謝の言葉を述べるシーンを思い出せばよい。

資本主義が、その存立の土台にしたために、私的所有権は拡大されてしまった。これは事実である。だから、未来社会は、所有権が「神聖・不可侵」の時代ではない、という見解には賛成である注7)。

そこで問題はどう縮小するかだが、その方向は、私的所有を全廃するのではない。それでは混乱が大きすぎる。そこで、置き換え、が考えるべき対象となり、ここに、エリック・A・ポズナーとE・グレン・ワイルが登場する注8)

私的所有は独占使用権であるから、所有者の自由を増大する反面、対極に不合理を生み出す。つまり他の人は使用できない。たとえ所有者が使用しなくてもである。

この問題は、貨幣に関して典型的な問題として生じる。それは金融制度で解決されるが、一般物財では充分ではない。物品のリースは金融に比べたら限定的である。

前掲の本(ポズナー、ワイル)には、不合理の典型として通行権があげられている。土地の占有があれば、そこを通過することさえできない。この問題はアメリカの鉄道建設に際して実際に生じた。

現代の経済には私的所有がたくさん存在するので…独占に関する問題が引き起こす資源配分の失敗によって、生産が25%以上押し下げられている可能性があることが明らかになっている。アメリカだけで1年に何兆ドルも失われている。(同上書、p.82)

しかし、この損失だけを強調するのは一方的に過ぎる。私達は、自分の所有物に囲まれて、くつろぐことができる。そこから、労働力が再生産されている。だから、私有物でも土地、建物などと、身のまわりの小さな私物は分けて考えた方がよい。いずれにしろ、過渡期において生産手段以外のものの私的所有を維持するのは合理的である。

一般的な私的所有をどうするかは、過渡期の次の問題だが、簡単な展望を示しておこう。

すぐ考えつくのが国有だが、マルクスも含めて多くの論者はネガティブだった。代わりに支持されたのは共有である。実は、共有は利潤を目指す、シリーズ⑧の図2でいうⅢ領域でもあるのである。特に中小企業の世界で多く見られる。大型の工作機械、使用頻度の高くない検査器などは共有して共同使用が普通のことだ。多くの場合、公的機関(工業試験所など)が間に立っている。農業機械でも、先に述べたように高額なこともあって、共有・共同使用は多く見られる。

私的所有の否定のあと、共同所有が浮かび上がって来るからこそ、本シリーズも協同組合に未来型を見ようとする。社会主義は、協同組合を社会主義的所有・公有から一歩遅れたものとして、順位を下げてしまった。これは、もう一つの社会主義の失敗である。

私的所有、というより私有財産を存続することになると、貧富の差が開く、いわゆるピケティ問題につき当たる。これを解決するのは、おそらく私有財産への課税であるが、ポズナーとワイルが主張する「共同所有自己申告税」(COST注9))は一考に値する。

補論 情報資本主義

情報資本主義という言葉が流布している。たくさんの論文、本が出版されている。時には、それがThe Nextのごとく言われることもある注10)。社会全体に拡大されて「知価社会」とか「知識社会」などのタイトルも散見される。

資本主義は商品の生産 ⇒ 販売だから、何が主要商品であるかで歴史を辿ることもできる。第1次産品(自給自足からはみ出した部分)、鉱業生産物、特にエネルギー系は外国貿易の発展(そのための技術的発展)などから、やがて産業革命により工場が出現し、主役は工業製品に移る。この時代も軽工業から重工業に移行する。簡単化すれば、農産物 ⇒ 工業製品 ⇒ そして情報商品へというわけだ。

しかし、これは単純すぎるし、情報という言葉が拡大されすぎて無概念になっている。情報商品は、いわば原材料であり、それは消費されてリアルな商品やサービス商品になる。

現代経済では情報が商品になった。情報の量も多くなったから、それが売れるなら情報産業が成立する。ついでに言えば、現代の情報関連企業は巨大で高利潤である。しかし、それは他のサービス産業と同じだが、リアルな商品を生み出すのでなく、リアルな商品の生産性を上昇させるだけだ。サービス商品の生産も効率化する。ちょうど、金融業が商業信用の作用で全産業の加速化を実現するように。

技術の面から論じるのも可能だ。情報技術の発展が経済のみならず社会の様子・外観を変えてしまう。これは私達がこの数十年間に目撃したことである。ビジネスは個々の取引の集合だが、それにはコミュニケーションが事前も事後も必要だ。それに要する時間と手間はICTの発達で大幅に短縮された。取引記録の保存も紙ベースではなくなった。

失ったもの

オフィスで働く人々はコンピュータに向っている。管理職さえもそうである。この状況はいきすぎて、隣の席の人に声をかけるかわりにメールするという無駄を生み出す程だ。

コミュニケーションのツールの発展が人々の直接的なコミュニケーション機会と能力を奪う。やがてこの状況は人々から昔ながらのツールを奪っていく。四角い封筒に切手をはって、自筆の手紙を他の誰かに送る。それは完全な昔物語になった。人々の文章作成能力は失われ、それもAIがやってくれる。こうした事態は人々の粉末状況を加速する。

格差

情報化の時代が、商品生産を効率化させたこと、そして利潤の生まれる場所を変化させ一方的にした。これはそのとおりだ。一方的とは、情報をうまく利用した者に多く、そうでない者に少なくというのではなく、前者にすべて、後者にゼロという意味である。だから、企業社会での格差拡大は定着する。

なぜ、こうなるかのと言えば、現代では特にそうだが、情報を得るための装置には大きな資金が必要だが、多くの中小企業には手が届かないのである。中小企業が組合等を組織して共同で、というのは試みとしてはあるが、情報という商品は自動車などと違ってシェアしにくいという特性を持っている。多くの場合、情報はひとり占めしてこそ意味があるからだ。

装置を持っただけではダメだ。それを操作する人が必要だが、これは特別に教育と訓練を受けた高度な人材であり、それを恒常的に維持することは中小企業には難しいという問題もつけ加わる。