エビデンスの意味・定義とは?語源では証拠・証言も・和製英語
各論の問題に行く前に「エビデンス」の意味・定義を確認します。
いわゆる「エビデンス」は、和製英語です。
俗に言われている「エビデンス」は、多数のケース(事象・人など)を観察・分析して一定の普遍性があると導かれるものが対象です。学術論文において統計的有意差があるとされるようなもの、科学的エビデンスと呼ばれているものがそれです。
村上氏も、そのような意味で「エビデンス」という語を用いているのが朝日新聞記事や著書でわかります。
他方で、語源となる英語の”evidence“には、証拠・証言といったように、主張の根拠を構成する資料のような意味が第一義的です。
つまり、たった一人が体験したものに関する証言でも、evidenceとして扱われます。
が、ここではそういう用語法ではない、ということを断っておきます。
個体差によって科学的エビデンスとは異なる結果が起こりうる経験則「エビデンスに拘って個人の経験や理念を疎かにするな」
村上氏の総論としての主張はこのようなものであり、私もまったく賛成です。
なぜなら、個体差によって科学的エビデンスとは異なる結果が起こりうるというのは経験則として知っているからです。
例えば新型コロナウイルスのワクチン接種後の体調。
私は毎回接種直後に頭痛と視界の微妙な変化、細かい筋肉の誤作動を感知します。
これまでに5回接種しましたが、2回目のモデルナと5回目のファイザーの接種後に心臓への負担を感じました。1週間くらい胸が重く動悸がちになり、運動すると酸素不足・息切れよりも心臓の鼓動の強さによって動作を停止させなければならなくなりました。
それでも、病院で心電図や心エコー等の検査をしても「異常なし」です。
例えば、カフェインの摂取と体調の変化。
感受性は飲む量が多くなるほど変化し、酷い時期にはカフェイン入りのガムを噛んだだけで頭痛、アレルギー症状etc…など様々な身体状況になりました。
が、当然ですが、カフェインの過剰摂取と呼ばれる量は、それよりも遥かに多いです。
現在ではそんなことはありません。
他、外国人でワカメの消化酵素が無かったり、ホエイプロテインでWPIじゃないとお腹を下すとか、人の体質・反応は異なるし、同じ人間でも感受性が変わり得る。
このように、(特定の)科学的エビデンスだけで物事を語り、即座に個人に対して当てはめるという行為は、的外れであるという場合があるということです。
「外れ値」除外の研究論文・トップレベルのトレーニングへの不適合次に、科学的エビデンスは、しばしば限定された条件・集団の下で実施された研究や、異常値を出した被験者の結果を「外れ値」として除外した上で他のデータを分析した結果として論じられることがあります。
参考 参考
また、科学的エビデンスとされている研究は安全を確保した状況でなされるものも多く、トップレベルのトレーニングの世界においては意味のない場合もあります。
こういう話をすると勘違いする人が出てきますが、科学的エビデンスがある話について「それは気に入らないから自分は対象外に違いない」などと勝手に思って無視するのは違います。ワクチン陰謀論などはその一種でしょう。
エビデンスが無い中で意思決定をしなければならない未知の状況そして、未知の事態への対処や新規事業など、エビデンスが無い中で意思決定をしなければならない状況があります。
このようなシーンで「エビデンスが揃ってから」というのは「手遅れ」になるので、エビデンスを執拗に求めるだけの行為は単なる妨害行為になります。
なお、「予防原則」によって、生命身体への悪影響が懸念されている場合には安全側に寄った判断をデフォルトにする、という考え方がありますが、そもそも予防原則の意味を一般的なものと異なり過剰に見積もる用語法もある上に、予防原則を適用すべきではない場面でも強要させる向きがあるので注意です。
「予防原則」を最近覚えて必殺技かのように使う人が多いんですが、ALPS処理水(処理前のものも)の放射性物質の成分は測定されてるので未知のものでも何でもないから対象外なんですよね。
他の世界中の原発や再処理施設で遥かに多い物質が放出されても害が起きてないという実績がありますし。 Pvch46hN8G pic.twitter.com/ConI7uqoFU
— Nathan(ねーさん) (@Nathankirinoha) September 11, 2023