有益なエビデンスの扱い方とはどういうものであるべきか。
朝日新聞記事で「エビデンスで殴られる・分断の道具に使われる」「エビデンス」がないと駄目ですか? 数値がすくい取れない真理とは
2023年10月31日、朝日新聞記事で「エビデンスで殴られる・分断の道具に使われる」とする内容の記事が出されて炎上しています。
本記事の内容の構成は、大阪大学教授の村上靖彦氏にインタビューしてその回答・発言を掲載するというものであり、彼の著作である【客観性の落とし穴】において示されている見解がベースにあります。
そのため、本稿では村上靖彦氏の主張を対象に論じます。
くだらない言説にはキリがないので、以下の内、2.以外は無視します。
村上靖彦の「客観性の落とし穴」でのエビデンスと個人体験と理念見出しが壮大な釣りになってクソリツイート(?)がたくさんついている。記事を読んでもいない人&開いても理解しようとしない人が多そうであり、そこが興味深い。つまりエビデンスへの態度以前に、なにか侮辱する・貶めることに依存する暗い欲望がある。最近これが気になっている。 pic.twitter.com/CHXdwZ9Rvh
— 村上靖彦 (@yasuhikomurakam) November 1, 2023
結論から言うと、村上靖彦教授の主張に対する私の評価は以下になります。
総論としては正当なことを言っている しかし、各論になると不当な主張をしている 「エビデンスの扱い方への注意喚起」として不適切な主張村上氏は、朝日新聞記事でも書いているように、真理には自然科学や社会科学の文脈から、データで導き出せる客観的な妥当性・一人ひとりの経験の中にある真実・人権のような理念の3つがある、という見解を持っています。
その3つで収まるのかはともかく、この総論には私も否定するものはありません。