コンプライアンスとは「社会の要請に応えること」
私は、2004年に、桐蔭横浜大学特任教授・コンプライアンス研究センター長として、本格的にコンプライアンスに関する活動を始めて以降、
コンプライアンスは、「法令遵守」ではなく、「組織が社会の要請に応えること」
法令の趣旨目的を理解し、背後にある社会的要請を知ること
と、世の中に訴え続け、そのような視点から、組織をめぐる様々な問題の解決、コンプライアンス体制の構築・運用等に関わってきた。2007年の拙著「「法令遵守」が日本を滅ぼす」、2008年の「思考停止社会 遵守にむしばまれる日本」を多くの方に読んでいただき、全国各地で、膨大な数の講演もこなしてきた。また、日経BizGate「郷原弁護士のコンプライアンス指南塾】の執筆、Yahoo!ニュース個人「問題の本質に迫る」でのコンプライアンス・ガバナンス問題を専門分野とするオーサーとしての執筆など、コンプライアンスに関する発信を行ってきた。
そのコンプライアンス論を具体的に実践する重要な場面としての企業の不祥事対応についても、前記のとおり、私自身も様々な企業不祥事で第三者委員会委員長を務め、不祥事の「問題の本質」を明らかにし、根本原因に迫り、抜本的な対策を提言してきたほか、多くの企業不祥事で、危機対応の助言・指導を行い、困難な局面を克服し、誤解に基づく不当な批判非難が行われることを防止してきた。
では、「社会の要請に応える」という観点から、今回のジャニーズ事務所の問題について、どのように対応していくべきだろうか。
まず、被害者の救済が最優先であることは当然だが、前記のとおり、その性被害の認定は、一方当事者が死亡しているために困難を極める。報道されている性被害の中には、ジャニー氏本人にジャニーズ事務所のタレントとしてデビューを約束されて性被害に遭い、そのまま約束が果たされず、ジャニーズ事務所に所属することもなく夢を断ち切られたという事案もあるようである。このような事案では、本人の被害申告を裏付ける客観証拠は全くない。だからと言って、「証拠の裏付けのない性加害は賠償の対象外とすること」は許されないであろう。
裁判官出身者3人の名前を並べた被害者救済委員会での判断は、どうしても「通常の裁判的判断」に近いものになる可能性があり、本件での被害者救済に適したものなのかどうかも疑問がある。そういう意味で、まずは、被害者の救済という社会の要請に応えていくことが必要だが、それを実行していくことも決して容易なことではない。
このような性加害事実の特定・認定が困難な状況に至っているのは、ジャニー氏の悪質重大な性加害行為が長年にわたって問題とされることがなかったからであり、その背景には、ジャニーズ事務所の組織自体の問題に加え、芸能プロダクションとテレビ業界、広告代理店業界との関係に関わる問題もある。そのことも、今回の問題の一つの本質と言えるであろう。
そして、芸能界における巨大権力者による性加害という重大な犯罪事実に対して「メディアの沈黙」が続いてきたことの背景に、日本のメディアが、一般的に、権力に対して極めて脆弱だという問題もある。
今回の問題は、日本の社会の様々な構造的問題に関連する「巨大不祥事」と言えるのである。
弁護士等が関わる企業不祥事の危機対応の限界では、今回のジャニーズ事務所の問題での危機対応で「不祥事」が発生し、社会的非難を一層高める結果になったことについて、危機対応に関わる弁護士等の専門家として、どう受け止めるべきなのか。
まず、重要なことは、今回のような複雑で構造的な問題を背景とする不祥事での危機対応においては、コンプライアンスの本質に対する深い理解と、関連する社会的要請を全体的にとらえる視点が不可欠である。そういう「コンプライアンス対応」が、近年弁護士業界では主要な業務の一つとなっている企業不祥事への対応で適切に行い得るのかという問題だ。
かつては、法律事務所にとって、顧問先企業との関係では、法務対応、訴訟対応が業務の中心であり、企業のコンプライアンス問題や不祥事対応というのは、顧問事務所としての「領域外」のように考えられ、企業不祥事の調査、第三者委員会等に関する業務は、独立系のコンプライアンスを専門とする弁護士に依頼されることが多かった。
しかし、2008年のリーマンショック後の不況の頃から状況は大きく変わった。大手法律事務所などが企業からの業務収入が大きく減少した際、その収入源を補ったのが、企業不祥事の外部調査、第三者委員会に関連する業務だったと言われている。
大手法律事務所は、検察官出身弁護士等を中心とする危機管理部門を立ち上げ、顧問先企業で不祥事が表面化した際には、社内調査のサポート、外部弁護士調査の受託などを行う。
第三者委員会を設置することになった場合には、裁判官、検察官の大物OB等を中心とする委員会メンバーの選定をサポートし、委員会の下での調査業務を直接、間接に受託する。不祥事が表面化し、社会的批判に晒されている企業は、不祥事対応に必要と言われれば、請求された費用をそのまま支払うことになる。
調査業務には、ヒアリングやその準備に、新人・若手弁護士も含めて多数の弁護士が投入され、各弁護士のタイムチャージを掛け合わせると費用は膨大な金額に上る。大手法律事務所にとっては、企業不祥事、危機管理業務は、一気に多額の報酬を得ることができる確実で安定した収入源となっている。
そのような大手法律事務所の不祥事対応によって、資料・証拠を収集して手際よく調査し、事実を明らかにし、原因分析・再発防止策の提示が行われる。それは、基本的には、一般的な訴訟における証拠による事実認定と法令・規範の適用の延長上にあり、法令違反行為、偽装・隠ぺい・改ざん・捏造など、違法性、不正としての評価が単純な問題であれば、合理的かつ有効な不祥事対応となる。
しかし、今回のジャニーズ事務所の問題がまさにそうであるように、危機対応の主体すら定まらない程に不祥事企業に対する社会的批判が強烈で、しかも、構造的な問題が背景にあり、社会的要請が複雑に交錯するコンプライアンス問題については、問題の本質を明らかに、問題の構造を明らかにしていく必要があり、それは、通常の企業不祥事のように単純ではない。
そこでは、コンプライアンスについての本質の理解に基づき、様々な社会的要請の相互関係を正しく把握することが求められる。ジャニーズ事務所の問題における危機対応が失敗し、不祥事の発生で、新たに大きな批判を受けることになったのも、根本的には、複雑な社会的要請の構図が十分に理解されなかったことによるところが大きいのではないか。
近年、企業のコンプライアンスは「法令遵守」「形式上の不正」中心にとらえられ、背景にある社会的要請や構造的な問題に目が向けられることは少なく、外部調査や第三者委員会調査に膨大な弁護士コストが費やされてきたが、そういう弁護士の中に、今回のジャニーズ事務所の不祥事で、コンプライアンスの根本的な理解に基づく適切な対応ができる弁護士がどれだけいるだろうか。そういう意味で、今回のジャニーズ事務所の問題は、木目田弁護士個人や所属事務所の問題で済まされるものではない。
かく言う私も、2回目の会見が「NGリスト」で問題化するまでは、ジャニーズ事務所問題のコンプライアンス問題としての複雑な構造について、あまり深く考えたこともなかった。最近、個別の不祥事事例を独自のコンプライアンスの視点から論じることから遠ざかっていた私自身も当初は問題意識が十分とは言えなかった。
そういう意味では、今回のジャニーズ事務所の問題がここまで深刻化したのは、日本における組織のコンプライアンスをどうとらえ、重大不祥事にどう対応していくべきかというコンプライアンスの本質に関する議論が不十分であったことにも根本的な問題があり、不祥事対応の限界が図らずも露呈したとみるべきではなかろうか。
今後、日本社会の構造が招いたとも言うべき「巨大不祥事」に適切に対応していくことは容易ではない。まず重要なことは、この問題をめぐる複雑な構造を全体的に把握するために、過去にジャニー氏の時代にジャニーズ事務所で行われてきたことの全貌を可能な限り明らかにしていくこと、それを可能な限り世の中に明らかにしていくことである(再発防止特別委員会では、同社のガバナンス上の問題の指摘と再発防止策の提言に必要な範囲での調査しか行われていない)。
ジャニーズ事務所問題に関しては、性加害の実態と併せて、今後、さらに詳細に事実解明を行うことが不可欠であり、テレビ会社、広告会社等の取引先との関係がどのようなもので、そこにどのような問題があったのかについても、可能な限り事実を明らかにすることが必要となる。それは、テレビ会社、広告会社等の協力がなければ行い得ないが、既に、自社番組でジャニーズ事務所問題への検証を始めたテレビ会社もあり、その動きは今後拡大していくものと考えられる。
ジャニーズ事務所側でも、そのような外部の動きとの連携協力を図っていくべきだ。それを踏まえ、様々な声を真剣に受け止め、議論を深め、社会の理解と納得を得つつ、今後の芸能プロダクション事業、タレント育成の在り方の議論に発展させていくことが必要であろう。
そのような取組みを進めていくためには、その全体を総括して意思決定を行う存在が不可欠で必要であるが、不祥事で責任を問われる立場にある前社長のジュリー藤島氏が関わるべきではないことは言うまでもなく、ジャニーズタレント出身の東山氏、井ノ原氏にその役割が務まるとも思えない。この問題について、適切に議論し判断することができ、社会の理解と納得を得ることが期待できる、外部者からなる「危機管理委員会」のような組織の設置を検討すべきではなかろうか。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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