身体改造ジャーナリストのケロッピー前田氏による新刊『モディファイド・フューチャー』(フュチャー・ワークス)が9月1日に発売された。本書は日本の身体改造カルチャーを総括する内容になっており、日英バイリンガル版で出版されていることからも、海外に向けて制作された意図があることは明白なのだが、なぜ今、日本の身体改造を世界に発信しようと思ったのか? 日本のカウンターカルチャーを牽引してきた第一人者が見てきた30年間の変遷とはーー。

身体改造ジャーナリスト・ケロッピー前田『モディファイド・フューチャー』刊行記念インタビュー(後編)
(画像=撮影:編集部、『TOCANA』より引用)

今回、TOCANA編集部では『モディファイド・フューチャー』の著者であるケロッピー前田氏にインタビューを行った。9月7日〜9月10日にかけて、ドイツ・ベルリンで開催された身体改造の国際会議「BMX」の模様から、昨今話題の「ニューラリンク」に至るまで、盛りだくさんの内容でお届けする!

ケロッピー前田が日本の身体改造カルチャー30年史を振り返る!

ケロッピー前田:90年代半ば、国内でも彫師さんとタトゥー愛好者が集う小規模なイベントが全国各地で開催されるようになって、それをいち早く、写真入りの記事で紹介したのが『BURST』(コアマガジン)でした。

身体改造ジャーナリスト・ケロッピー前田『モディファイド・フューチャー』刊行記念インタビュー(後編)
(画像=ケロッピー前田責任編集『バースト・ジェネレーション』(東京キララ社)、『TOCANA』より引用)

各地のタトゥーイベントを細く取材した記事で売り上げを伸ばしていたので、1999年には独立して、タトゥー専門雑誌『TATOO BURST』(コアマガジン)が創刊されるわけですけど、この雑誌は非常によく売れましたね。

類似誌も生まれて、ゼロ年代前半には最大で9誌のタトゥー専門誌があったので、当時の日本は「タトゥーと身体改造の楽園」とまで言われていました。

ーー身体改造はどのような流れで、ムーブメントを巻き起こしたのでしょうか。

ケロッピー前田:それまで『BURST』で扱っていたタトゥー記事が『TATOO BURST』に移行したことで、本誌では身体改造にフィーチャーしていくことになったんです。時を同じくして、1999年に身体改造ホームページBMEが主催する世界大会「モドゥコン」が始まったので、僕もすぐにカナダへ取材しに行きました。

こうして、自ら手足を切断しちゃうような世界最先端の過激な身体改造を実践する人たちのレポートが毎月掲載されている雑誌が、全国の書店に流通するという特殊な状況が発生したんです。

身体改造ジャーナリスト・ケロッピー前田『モディファイド・フューチャー』刊行記念インタビュー(後編)
(画像=トカゲ男とキャットさん。シャノン・ララット著/ケロッピー前田訳『モドゥコン・ブック 増補完全版』(フューチャー・ワークス)より、『TOCANA』より引用)

ーー身体改造カルチャーに多大なる影響を与えたといわれる「モドゥコン」ですが、なぜ終わっちゃったんですか?

ケロッピー前田:この世界大会は、2001年まで3年連続して開催されたけど、9.11のテロが起きて、世界的な自粛ムードや飛行機での移動に対する懸念から、翌年はイベントを行うことができなかったんです。

盛り上がり始めたところだったので、「モドゥコン」に行くつもりでいた身体改造アーティストがたくさんいたんですけど、なぜか彼らは次に日本を目指したんですよね。タトゥーについては専門誌が日本でバカ売れしていたから、わざわざ現地まで行かなくても、世界トップレベルの超人気彫師が次々と来日していました。

今でも日本のタトゥーカルチャーは、その頃にタトゥーを楽しむことを知った人たちに支えられていますね。