ホンダのみならず、日本車に革命を起こした傑作
現在もなお「走りのいいミニバン」を望むユーザーから圧倒的な支持を受け、中国製を輸入してでも存続が決まったホンダ オデッセイ。
その初代モデルは初期の企画から実現まで何年もかかるほど産みの苦しみを経ましたが、発売されるや大ヒットとなり、日本車のあり方さえも根底から覆すような「革命」を起こした数台のクルマの1台でした(他には初代スズキ ワゴンRなど)。
そしてそれは単にミニバンとしてのみならず、上質なV6エンジン車の追加などもあって、「ホンダとして初めてヒットした高級車」でもあったような気がします。
MOBY編集部がAIに聞いた「30〜50代のクルマ好きが気になる過去の名車」にノミネートされたのも、初代から2代目まで、「あの頃のオデッセイ」の記憶がまだ鮮明に残っている世代だからでしょう。
「カッコ悪いクルマ」とされていた発売前
後に初代オデッセイとなるホンダ社内での企画が立ち上がった1990年、「ハイルーフの商用1BOXベースとは異なる、セダンなど一般的な乗用車をベースとしたロールーフのミニバン」は既に存在し、珍しいものではありませんでした。
国産車だけでも日産 プレーリー(初代1982年)、三菱 シャリオ(同1983年)、マツダ MPV(同1988年)がありましたし、海外でもルノー エスパス(同1984年)、ダッジ キャラバン(同1983年)があり、特に北米では人気ジャンルとなっていたほどです。
一方、ホンダはこうした内外のミニバンブームにも、1980年代末頃から盛り上がっていた日本国内のRVブームにも対応する車種が皆無で、国内第2位の日産を追い上げ躍進著しい三菱に買収されるのでは…というほど、落ちぶれていた時期でした。
そのため北米で売れそうな乗用車ベースのミニバン開発は必至に思われましたし、販売現場からも「ハイエースみたいなクルマが欲しい」とは言われていたものの、肝心のホンダ社内では「そんなカッコ悪いクルマを作れるか!」という声も大きく、一時は開発凍結。
しかし、企画初期から関わる関係者の熱意、そして四輪車メーカーとしての存続が掛かる情勢もあって開発は再開、アコードをベースに最低限の生産設備改修で生産できるミニバンとして、1994年10月にようやく発売されたのが、初代オデッセイでした。