戦争と犯罪にまみれた混沌とした社会だからこそ撮れる作品がある

釣崎:最初に死体を撮りに行った国はタイでした。当時のタイは良い意味で野蛮なところがあって、人の死に対しても大らかで寛容で、要するにご遺体にアクセスすることも容易なわけですよ。

交通事故の多いバンコクなんかでは、死体製造機みたいな感じで毎晩のように鉄の塊に轢かれてぐちゃぐちゃになった人間の死体が路上に転がっていて、すごく刺激を受けたんですけど、ゼロ年代を最後にタイに行くのはやめました。

――それは何か理由があったんですか?

釣崎:世界中にポリコレ旋風が吹き荒れるなかで、タイは独自に育んできた突出した”死の文化”を簡単に捨てちゃったんですね。昔は大衆文化として根付いていたけど、今は死体を扱うメディアもなくなって、僕にとってタイはもう面白い国ではなくなってしまいました。

今でも死体はたくさん撮ることができるんでしょうけど、単に死んだ人がいればいいってものじゃないってことですよね。死は国の文化や民族性を反映するし、それらは時代ごとに変遷するものなので、ここまでグローバル化が浸透してくると、どこに行っても同じようなものがあるだけで、いろんな国に行く理由が失われてしまうんです。

それに、自らも死ぬ危険を冒すことで死者を撮影する資格を得るという感覚があります。その点、中南米は居心地がよかった。戦争と犯罪にまみれた混沌とした社会だからこそ撮れるものっていうのがあるので、自分の世界観にもぴったりハマる感覚がありますね。

表現者として歴史と並走してアーティストの視点から世界を見たい

【あと2日】東京・新宿BAR DOQUDOQUで釣崎清隆死体写真展『DAYS OF THE DEAD 2023』開催中!
(画像=『TOCANA』より引用)

――昨年の5月にはウクライナにも行かれてましたよね。やはり、いろいろと混乱した時期だったからこそ撮り行かねばと。

釣崎:僕には歴史と共に並走していきたいという思いがあるんです。最初にそれを意識したのは「アメリカ同時多発テロ事件」の時で、メディアから流れてくる情報を鵜呑みすることをやめて、まず現場に向かうことにしました。

ロシア・ウクライナ戦争も我々日本人にとっても無縁の戦争ではないわけで、僕は明日は我が身だと思っていますから。9.11にしろ、3.11の原子力災害の時にしろ、流言飛語が飛び交って、表現者までデマに加担して社会を混乱に陥れている部分があるので、僕は彼らを軽蔑するし、ある種の差別意識を持っているんです。

――釣崎さんのスタイルというのは究極の現場主義とも言えると思うのですが、その点についてはどうお考えですか。

釣崎:自分が最前線に赴いて、実際に体験した出来事じゃないと言い訳できないんですよ。安全圏に身を置きながら、世界の悲惨なものを集めて、不謹慎な悦楽を得ていると思われるのは嫌ですから。誰にも文句を言われないようにまず現場に行くし、そのなかでも特にハードなものを選ぶというふうに自分のなかでドグマを課しているんです。

――2017年には、自ら作業員として福島第一原子力発電所周辺の放射能測定に携わった経験を綴った『原子力戦争の犬たち 福島第一原発戦記』(東京キララ社)も刊行されていますね。

【あと2日】東京・新宿BAR DOQUDOQUで釣崎清隆死体写真展『DAYS OF THE DEAD 2023』開催中!
(画像=『原子力戦争の犬たち 福島第一原発戦記』(東京キララ社)、『TOCANA』より引用)

釣崎:あれは本来の自分のあるべき姿とはちょっとズレるんですけどね。これまで世界の悲惨な現場を見てきて、日本が惨劇に見舞われた時にどうしても日本人としてコミットしたかったんです。作業員として働いていた時期は、写真を撮るとかそういうことはまず置いて、表現者であることを2年ぐらい辞めていました。

でも、すごく良い経験でした。素晴らしい体験をさせてもらったと思っています。今は処理水問題が騒がれていますけど、またしても表現者がデマに煽られて、外国勢力の悪意に加担している。このみっともなさと言ったら、なんとかならんなのかなぁと思うんですけどね。

やっぱり現場を知らないからですよね。特に政治的な発言をするつもりはないけど、90年代から世界中の死体現場を飛び回って、現地で見聞きしたものを自分なりに咀嚼しながら表現活動を行なってきた身として、僕にしか語れないことがあると思います。