■『ウマ娘』でも注目集まる

取材を快諾してくれた新冠町郷土資料館に、まずは「太陽」の歴史について尋ねてみる。

すると、担当者からは「かつて新冠は『御料牧場』という、軍馬や農耕馬を育成していた地で、この牧場は宮内省など国が取り扱う機関でした。現在の太陽も、この牧場の範囲内にあります」「そして戦後、この牧場が解放となって、新冠にはたくさんの開拓者が入植しました。太陽地区には満州のほか、日本製鋼所室蘭製作所出身の引揚者が多く入植し、開拓が進められました」との回答が。

非常に印象強い地名の由来については、「太陽という名称は戦後、開拓団の団長が国の機関との協議を経て、高松宮殿下によって命名された地名とされています。地域の人は『太陽のように明るく、あたたかで、まるい地域になるように』との認識があるようです」と、説明している。

「太陽までの距離」書かれた標識、あまりの近さに目を疑うが… その正体に思わず感動
(画像=『Sirabee』より 引用)

太陽にばかり注目してしまったが、もちろん新冠自体も非常に長い歴史を持つ町である。

担当者は「縄文時代の遺跡があり、大昔から人が住んでいた場所です。やがてアイヌ民族が生活するようになり、古くはコタン(集落)が形成されていました」「今でも『新冠アイヌ協会』があり、子孫の方々が文化継承を図っています」と、そのルーツについて解説してくれたのだ。

江戸時代になると、松前藩が海沿いに「新冠会所」を設け、和人とアイヌ民族が交易するように。そして明治時代に入り、新冠の大部分は前出の「御料牧場」となっていく。

そうした背景もあって、新冠は現在に至るまで「日本有数の馬産地」として広く認知されている。令和に入ってからはアプリゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』の影響もあり、より多くの人にその名が知れ渡っていったのだ。

余談だが今回の取材に際し、話題のポスト投稿主・道民の人さんが「太陽」について「厳しい開拓生活の中で、希望を象徴する名前だと思います」とコメントを発していたのが、じつに印象的であった。

新冠を訪れる機会があれば、ぜひ希望の地「太陽」にも足を運んでみてほしい。