“今この瞬間を生きる”ことは不可能

 マインドフルネスの知恵の3番目の疑わしい“戦略”は、過去や未来について思い煩うことなく“今この瞬間を生きる”ことに注力すべきであるという考えだ。

 しかし問題は、我々が世界を経験する方法に「今」という概念が実際には存在しないことであるとストーン氏は指摘する。

 フランスの哲学者アンリ・ベルクソンに倣えば、我々はカレンダーや時計のように一方通行の時間を経験しているわけではなく、ましてや“今この瞬間”に生きているわけではない。

 むしろ我々は過去、現在、未来が混然一体となった“期間”に生きている。

 時間は常に前進しており、前後を考慮せずに“今この瞬間”を語ることはナンセンスであり、人間の心理は過去の豊富な経験、記憶、学習された行動に依存し、未来への懸念や予測によって行動や思考が構成されている。

「もし私たちの経験や行動が首尾一貫していて、私たちにとって意味のあるものであるためには、それらは何らかの形で私たちの過去と未来に言及する必要があるでしょう」(ストーン氏)

「マインドフルネスに関する3つの神話」に哲学者がガチのツッコミ! “今この瞬間を生きる”ことは不可能!?
(画像=「University of Copenhagen」の記事より,『TOCANA』より 引用)

世界中で何百万人もの人々がそれを実践しているマインドフルネスが無益であるはずはない。生活の中の些細な心配事を無視し、自分が注意を向けているものに対してよりコントロールと責任を持ち、過去にこだわったり将来について心配したりする時間を減らすことで、おそらくよりリラックスして日々の暮らしを送ることができる。

 しかしこれまでの“自己啓発”の流行と同様、過大評価と鵜呑みにしてしまうことには重大な誤解を生じかねない。節度と賢明な適用が鍵となるとストーン氏は結んでいる。

 つまりマインドフルネスに入れ込みすぎて“浮世離れ”してはならないということでもあるだろう。当たり前だが決して無視できない現実にはどうであれ向き合っていくしかないのである。

【トカナのコメント】

 ストーン氏の専門は哲学の方法論の1つである現象学なのだが、現象学的にマインドフルネスを理解しようとしている点に制約がありそうだ。たとえば、「今この瞬間を生きる」ことは、彼の専門とするフッサールの時間理解の枠組みでは確かに不可能だが、仏教の時間理解は果たしてそれと同じだろうか。フッサールは現象学を提唱した哲学者で、ストーン氏が所属する主観性研究センターを創設したダン・サハヴィはフッサール研究の世界的権威だ。

 フッサールは、時間の分析を通して、我々の認識が成立するためには、現に起こっている現象の少し前の出来事を無意識に覚えている過去把持と、これから起こることを予期している未来予持という能力が不可欠だと考えた。たとえば、音楽を聴く時、曲を構成するそれぞれの音がぶつ切りになってしまっては音楽ではなくただの音となってしまう。音楽が音楽として聞こえるためには、今聴いている音だけではなく、その少し前の音を覚えており、さらには少し先の未来に聞こえるだろう音を予期していなければならないというわけだ。

 こうした時間理解に則れば純粋な今というのは存在しえないだろう。しかし、これは通常の意識状態を前提にした話であることをストーン氏は忘れているようだ。高度な瞑想修行者に限られることだが、瞑想中の時間経験は果たして日常の時間経験と同じなのだろうか。

参考:「Big Think」「University of Copenhagen」ほか

文=仲田しんじ

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提供元・TOCANA

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