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(前回:衰弱する資本主義⑩:資本主義の時期区分)

第4楽章

ダーウィンの進化論を社会科学に応用する。これを社会進化論と呼ぶが、これには問題がある。進化論の時間はとても長い。それは長いと数百万年、短くても1000年だ。資本主義の歴史はせいぜい200~300年ほどだ。まして、本稿で問題にする資本主義の時代区分はさらに短い。だから、やや否定的なのだが、次のことは言える。

進化論的に言うと、資本主義もだんだん進化していく。アメリカの投資銀行というのは、あれはいったい何だったのか。やはり金融業の進化型ではないか。そして、もっとも進化したものが危機を招く。

この人が一番優秀、私たちがつくった組織でこれが一番優秀という組織が危機を招く。一番進歩したものが社会全体をダメにするような害悪の根源になる。そういうことになったときに、私はこれを哲学者キルケゴールの言葉を借りて「死に至る病」と呼んでいます。

ダーウィンは、種の死滅・絶滅という問題については『種の起源』で触れていない。ですからこれは私の勝手な解釈ですけれども、一番進歩しているといわれるものが、躓く、それだけでなく、そのことによる害悪があっという間に広まる。これはかなり深刻な事態だと思います。私はリーマンショックをそう解釈しているのです。そうだとしたらこれは資本主義の一つの楽章を終わらせるぐらいの衝撃であったろうと思います。(『2012・協同組合』、p.68-69)

社会主義は既に崩壊していたから、資本主義の不戦勝のはずだった。金融という最先端から発火し数日で世界に伝染した。現代がグローバルな時代であることをネガティブに証明してみせた。それでは被害者は誰かといえば、リーマン・ブラザーズのニック・ファルドではなく、失業、貧困の増大で苦しむことになった世界の下層の人々だ。

事を起こした巨大銀行は、リーマンを除いて国家の手で救済された。小さな国家のスローガンはどこかに飛んで、救済する国家が出現した。つまり、強力になったわけだが、この国家は何でもしてくれるわけではない。ポピュリスト達が、あれもこれもと選挙をエサに要望を並べても得られるものは少ない。福祉は後退し、代わりに軍事国家は前進したから、世界はとても危険な状況になってしまった。

リーマン・ショックの後始末で世界の国家が救済に使ったお金は450~500兆円であるという。こんなお金を出せるのは国家しかない。国家以外に助けになるものがない。これも資本主義の衰弱である。そして、その国家の財政状況は大変危ういのである。

日本の場合、国債を買うのは中央銀行だけだ。地方銀行がそれを買うのは、それなら中央銀行が買ってくれる、つまり100%の流動性が保証されているからで、それを信用(安全視)しているのではない。BISという国際機関が、大した根拠もなく、国債のリスクをゼロと認定しているからだ。

リーマン・ショックについては多くの論文がある。私なりの整理は以下に示した。

「世界金融危機解題」(『商工金融』、第59巻第10号、2009年)

財政危機と双子の関係にあるのが通貨への不信認だ。コロナ禍で使われたお金は一体いくらになったのか。ペーパーマネーだから必要なだけ出せばいい!金価格は史上最高値である(8月末についに1g1万円を超えた。新高値だ)。逆に新安値は日本の通貨。果てしなく進む円安はとても不気味だ。

主旋律

第1楽章から第3楽章までは様々な事象の背後に聞こえる主旋律があった。すなわち、第1楽章は自由競争、第2楽章は福祉国家、第3楽章は新自由主義。しかし、第4楽章にはそれがない。だから「新しい資本主義」などというにわか看板掲げられるのだ(「新しい資本主義批判」、アゴラ2022年7月7日)。

第4章には時代の精神のようなものも見当たらない。資本主義を擁護し、これでいいのだと開き直ってきた人々にも自信は見えない。環境派に揺さぶられれば、少し“環境”を気にしてみせる、人権派が文句を言えば自分達もヒューマニズムだと言い張る。

資本主義はシュトレークのいう、時間稼ぎに入った。Gekauft Zeit!、それは買われた時間である。買うために使ったお金は、たまたま相手が受け取ってくれたからよいが、次も使用できるとは限らない。

第4楽章には主旋律がないから、それだけでもとらえにくいのだが、まだ終わっていないので、どこまでという区切りをつけることもできない。資本主義が過去に稼いだお金を、紙幣製造機で水増しして、それで時間を買ってダラダラと生き延びている。

シュトレークは、イタリアの革命家アントニオ・グラムシの言葉を紹介している。

古きものは死んだが、新たなものはいまだ生まれ落ちていない。

現代はありとあらゆる病理的な現象が生じる空白期間である。

そこで第4楽章の病理を順に見ておくことにしよう。

生産の社会化の現況

資本主義が発展する。つまりGDPが増大していく過程で巨大な規模の企業が出現する。これは、程度の差こそあれ、先進諸国でも発展途上国でも共通してみられる現象である。これを、経済学は“生産の社会化”ととらえる。

私的所有という基本構造の上に、生産主体として私企業が利潤を求めて運動する。それは上昇する螺旋運動であり、集積と集中をくり返すうちにやがて巨大企業が出現する。一企業が巨大な生産設備を持ち、大きな数の労働者を擁し、そこの製品はほとんどの人々の消費に供される。私達の身のまわりをみても、一企業の名付けた商品名が使用価値としての商品そのものを表すようになった例はたくさんある。

経済学者達は、特に資本主義の次があることを歴史の帰結として確信した人々は、“生産の社会化”を次の社会の物質的条件が整いつつあることの証しとみた。

厳密に言えば、独占と寡独は違う。量的だけでなく質的にも違いがある二つの概念を敢えてひとつにして“独占資本”を論じたのは、自由競争の反対物を表現するのに“独占”の方がわかり易かったからだろう。政治で大事なのは、わかり易さであり、人々に浸透するプロパガンダであるから、変革の指導者は敢えてそれを選択したのである。

日本の独占状況(表1)

2000年以降、様々な業界で大型合併が実施され、売上高1兆円を超える巨大企業が出現した。従業員数も10万人を超えるケースもあり、それは地方の中核都市の総人口に相当するのであるから“社会化”は着実に進展している。“生産の社会化”から“次の社会”には、もちろんいくつかの政治的ステップがあるのだが、“次”への物的条件が整いつつあるのは確かである。もっとも、この物的条件に依存し、政治的に無策に陥るのは、今も昔も大いに問題である。

会社名 合併年 合併前企業 売上高 (億円) 従業員数 豊田通商 2006 豊田通商・

トーメン 6兆7627 5万8565人 双日 2004 日商岩井・

ニチメン 1兆8561 1万8634人 日本製鉄 2012 新日本製鉄・住友金属 6兆1779 10万5796人 JFEHホールディングス 2002 日本鋼管・

川崎製鉄 3兆8736 6万2083人 三菱UFJ銀行 2006 東京三菱銀行・UFJ銀行 4兆8639 8万7876人 三井住友銀行 2001 さくら銀行・住友銀行 3兆3698 5万8527人 みずほ銀行 2002 第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行 3兆1490 3万7786人 東京海上日動火災保険 2004 東京海上火災保険・日動火災海上保険 4兆5419 3万3559人 あいおいニッセイ

同和損害保険 2010 あいおい損害保険・ニッセイ同和損害保険 1兆5031 1万4872人 LIXILグループ 2001 トステム・INAX 1兆8326 6万2940人 日本航空 2006 日本航空インターナショナル(旧JAL) 日本航空ジャパン(旧JAS) 1兆4872 3万4003人 三越伊勢丹ホールディングス

(三越伊勢丹等) 2008 三越・伊勢丹 1兆1968 1万3211人 エイチ・ツー・オーリテイリング(阪急阪神百貨店等) 2007 阪急百貨店・阪神百貨店 9268 8793人 ファミリーマート 2016 ファミリーマート ユニーグループ・ホールディングス 6171 1万5139人 J.フロントリテイリング 2007 大丸・松坂屋ホールディングス 4598 6695人 コニカミノルタ 2003 コニカ・ミノルタ 1兆0591 4万4360人 マルハニチロ 2007 マルハグループ本社・ニチロ 9224 1万1276人 阪急阪神ホールディングス 2006 阪急ホールディングス・阪神電気鉄道 7914 2万2654人 バンダイナムコホールディングス 2005 バンダイ・ナムコ 7323 8360人 セガサミーホールディングス 2004 セガ・サミー 3316 7993人 スクウェア・エニックス・ホールディングス 2003 スクウェア・エニックス 2710 4601人 USEN-NEXT HOLDINGS 2017 USEN・U-NEXT 1757 4876人

表1 売上高が1兆円に迫る合併 ※表中の金融機関については売上高でなく経常収益額を示している (出典:東京商工リサーチ)

表1には、いわゆるメガバンクの起因となった金融機関の合併も示されている。

合併は資本の集中の典型的な現象形態であるから、資本主義に普遍的なものだが、世界の金融界で顕著な現象となるのはリーマン・ショックの後である。つまり、第4楽章の現象である。

ただし日本の場合、再編のきっかけが1997~1998年の金融危機にあり世界より10年、先行した。大手21行から5つのグループという大きな変化が起きたのは、この10年が準備期間として機能したからだである。同様な変化・再編は保険業界でも証券業界でも進展した。

独占化・寡独化は第1楽章から第2楽章への移行期にも生じたが、第3楽章から第4楽章にかけてのそれは質的な違いを含んでいた。

『金融資本論』や『帝国主義論』では、金融資本の形成のプロセスとして独占形成があった。つまり、産業独占を支配し、国家の支持も取り込んで強力に蓄積をすすめる核の形成過程であったが、第4楽章で示されたのは型の上では同じ大型合併・再編であっても意味合いが違った。一言でいえば、“後向き”なのだ。

つまり、国際競争下で自らが生き延びるための再編であり、しかも国家の力を借りての再編であった。1920~30年当時のマルクス主義の示した構図は“国家独占資本主義”で、それは独占資本が上に立ち国家を都合よく下僕として使うというものだが、現代の再編で示された構図はむしろ国家が上に立ち、独占体はそれに様々な面で依存するという逆転した従属関係である。

しかし、この関係も危ういのである。後に見るように、国家にも財政危機という難題が迫っているからだ。国家が、かけ込み寺、救済デパートという状況は大きな困難に直面している。

国家の肥大化は、福祉国家の時代、つまり第3楽章に始まった。それを危惧し、“小さな政府”が主張された時もあった。財政の一時的な改善もいくつかの国では観察されたが、日本では不発だった。既に述べたように金融危機が10年先行し、また低成長、失われた20年が重なり、国家はその対策のため“小さくなる”機会を逸してしまった。