今のところ、今回の政権中枢から河井夫妻への資金提供の事実の報道は、中国新聞の独走状態である。他のメディアの「後追い報道」もほとんどない。「検察当局からのリーク」であれば、東京地検特捜部の捜査に対応する大手新聞、テレビメディアではなく中国新聞のスクープは考えにくい。

そういう意味でも、今回の中国新聞のスクープは、河井夫妻の刑事事件が、案里氏は当選無効、克行氏は実刑確定で決着した後も、事件の真相を追う取材を続け、極秘で行われたと思える政権中枢の買収資金提供疑惑の捜査について報じた中国新聞の徹底した取材・報道の姿勢によるものであり、ジャーナリズムとして高く評価すべきであろう。

重要なことは、今回の報道によって明らかになった事実について、法律的、政治的に、どのような意味があるのか、どのような影響があるのか、という点である。

まず、今回報じられたメモによって、政権中枢から河井氏側への資金提供の事実があったとの前提で論じてよいか、メモの信ぴょう性について確認しておく必要がある。

この点については、前記の中国新聞記事で、メモの信ぴょう性についての緻密な裏付けが行われている。それに加え、注目すべきは、メモ中の「すがっち500」という記載だ。2020年1月15日に広島地検特別刑事部が行った河井夫妻の自宅の捜索差押では、克行氏の自宅から、県議、市議等の名前と金額、克行氏が「こた」、案里氏が「ぶ」と現金配布の役割分担が書かれたメモが押収されていたことが、克行氏の公判で明らかにされている。夫婦間で、克行氏は「こたぬき」、案里氏は「ぶーぶー」と呼ばれていたことからそのように記載したとのことだ。

「すがっち」というのも、このような河井夫妻の夫婦間での会話での「呼び方」に対応するものだったとすると、メモの信ぴょう性を高める事実だと言える。

法務省サイト、官邸サイトより

政権幹部からの現金提供の「公職選挙法の違法性」の有無

では、この政権中枢から河井夫妻側への資金提供の事実について、法律上どのような問題があるのか、違法性、犯罪性が認められるのか。

まず問題となるのは、河井夫妻が問われた公選法違反との関係である。

ここで重要なことは、選挙運動期間中など、直接的に、投票や選挙運動の対価として金銭等を供与する事例に限られ、選挙の公示から離れた時期の金銭の授受が、買収罪で摘発されることは殆んどなかった従来の実務からすると、河井夫妻の多額現金買収事件というのは、異例の摘発だったということである。

克行氏らが、「(案里氏に)当選を得させるために」金銭を提供したことが「選挙人又は選挙運動者」に対する「供与」として買収罪に問われるのであれば、その資金の提供者には、「交付罪」が成立する可能性がある。

しかし、河井夫妻による地方政治家に対する現金供与に買収罪を適用することは、従来の公選法の罰則適用の常識からすると、相当ハードルが高かった。この点について、私は、今年3月に公刊した拙著『“歪んだ法”に壊される日本 事件・事故の裏側にある「闇」』の《第2章「日本の政治」がダメな本当の理由 公選法、政治資金規正法の限界と選挙買収の実態》で、おおむね以下のように述べていた。

検察には、乗り越えなければならない「壁」が二つあった。

第一に、買収者(供与者、お金を渡した者)の河井夫妻側と、被買収者(受供与者、お金を受け取った者)の地元政治家の両者が、「案里氏が立候補する参議院選挙に関する金であること」を否定し続ければ、買収罪の立証は極めて困難だということだ。

判例上、「選挙運動」は「特定の公職選挙の特定の候補者の当選のため直接・又は間接に必要かつ有利な一切の行為」とされているので、特定の選挙のための活動を行うのであれば、「党勢拡大、地盤培養のための政治活動」という性格があっても、「選挙運動者」に当たることは否定できない。「政治資金規正法」上は適法であっても、「当選を得させる目的」で、「選挙運動者」に金銭を「供与」すれば、「公選法」上の「買収罪」が成立することに変わりはない。

しかし、「特定の候補者を当選させる目的」は主観的なものなので、買収者も被買収者も、あくまでその目的を否定し続け、しかも、それが「党勢拡大、地盤培養のための政治活動のための資金」という一応の理屈を伴うものである場合には、目的の立証は容易ではない。

地方の首長・議員には、その地域でまとまった数の支持者、支援者がいる。国政選挙でもかなりの票を取りまとめることができる。しかも、そういう政治家に、特定の候補のための活動を依頼してお金を渡しても、「選挙運動の報酬」ではなく、「政治活動のための費用の支払」であり、「政治資金を渡した」と説明することが可能だ。それは、その種の買収事案の摘発の大きな障害となっていた。

第二に、河井夫妻の買収罪が立証できた場合には、その金を受領した被買収者側の処罰が問題になる。買収者と被買収者は「必要的共犯」の関係にあり、買収の犯罪が成立すれば、被買収者の犯罪も当然に成立する。従来の公選法違反の摘発・処罰の実務では、両者はセットで立件され、処罰されてきた。

河井夫妻事件の被買収者の大半が公民権停止になり一定期間、選挙権・被選挙権を失い、現職政治家が失職することになれば、地方政界を大混乱に陥れることになる。そのような事態を招く公選法違反等による刑事立件や刑事処分を極力回避するというのが、従来の検察の姿勢だった。

「二つの壁」をクリアするために検察がとった方法

このように、河井夫妻事件の公選法違反での摘発については、上記の二つの問題があったが、それらを丸ごとクリアする方法として検察がとったのが、処罰の対象を河井夫妻に限定し、被買収者には「処罰されない」と期待させて「案里氏の選挙に関する金であることを認めさせる」方法だった。

検察の取調べで、被買収者らは、明確に「不起訴の約束」まではされなくても、検察官の言葉によって、「処罰されることはないだろう」との期待を抱き、「案里氏の参院選のための金と思った」と書かれた検察官調書に署名した。

買収罪で逮捕・起訴された克行氏は、2020年9月の初公判での罪状認否で、《「当選を得させる目的」はあったが、そのために「選挙運動」を依頼して金を渡したのではない。あくまで、案里の当選に向けての「党勢拡大」「地盤培養行為」のような政治活動のための費用として渡した金である》と主張したが、2021年6月18日、克行氏に対して、計100人に約2900万円を供与した公選法違反の買収罪で「懲役3年」の実刑判決が言い渡された。2つの問題を乗り越える検察の目論見は、うまくいったかのように思えた。

「被買収者の不処罰」は困難、必然だった取調べでの「不起訴示唆による自白誘導」

しかし、そのような検察のやり方には、もともと無理があった。

克行氏の被告人質問が行われていた頃には、市民団体が検察に提出した、河井夫妻から現金を受領した受供与者(被買収者)の公選法違反の告発状が、すでに受理されていた。河井夫妻の買収罪について有罪判決が出ているのに、被買収者の方は告発を受理しないまま、というわけにはいかない。検察にとっては、告発を受理すれば、起訴不起訴を決定し刑事処分をしなければならない。不起訴にするとしても、「犯罪事実は認められるがあえて起訴しない」という「起訴猶予」しかないが、もともと検察内部の求刑処理基準に照らせば、「起訴猶予」の余地はあり得なかった。

告発人が不起訴処分を不服として検察審査会に審査を申立てれば、「起訴相当」の議決が出ることはほぼ確実であり、検察は、その議決を受けて起訴することになる。それによって、公民権停止で失職する現職議員の被買収者側から、「検察に騙された」と激しい反発が生じることは必至だった。

克行氏への一審有罪判決から、半月余り経った7月6日、検察は、被買収者100人について、被買収罪の成立を認定した上で99人を起訴猶予、1人を被疑者死亡で不起訴にしたことを公表したが、告発人が検察審査会に審査申立てを行い、検察審査会は、広島県議・広島市議・後援会員ら35人(現職県議13名、現職市議13名)については、「起訴相当」、既に辞職した市町議や後援会員ら46人については「不起訴不当」の議決を行った。

議決を受け、検察は、「起訴相当」と「不起訴不当」とされた被買収者について事件を再起(不起訴にした事件を、もう一度刑事事件として取り上げること)して再捜査を行い、「起訴相当」とされた広島県議・広島市議ら35人のうち、重病で取調べができない1名を除いて、全員を起訴した(略式手続に応じた25人については略式起訴、買収罪の成立を争うなどして略式手続に応じなかった9人については公判請求)。

検察官の取調べで、被買収者側が、「処罰されることはないだろうとの期待」を抱き、「案里氏の参院選のための金と思った」と認める供述をしたからこそ、河井夫妻を買収罪で逮捕・起訴することが可能になり、河井夫妻の有罪判決が確定したのである。それによって、被買収者側も、結局のところ処罰を免れられなくなった。そういう被買収者側の供述がなければ、そもそも、買収事件の立証は困難だった。

現職国会議員が直接現金で渡したという点は別として、金の流れ自体は国政選挙においては一般的なものであり、それまでは、公選法違反として刑事事件の摘発の対象とされるものではなかった。河井事件での選挙をめぐるカネの流れは、国政選挙における保守政治家のやり方としては一般的なものだったとも言えるのである。

今年7月21日、読売新聞が、「特捜検事、供述を誘導か…河井元法相の大規模買収事件で市議に不起訴を示唆」と大きく報じた。それは、検察官と被疑者とのやりとりを記録した録音データがあることがわかり、それについて、最高検察庁も、「当時の取り調べに問題がなかったか調査する」と答えざるを得なくなったからだ。

この河井事件の取調べでの「不起訴を示唆して自白に誘導するやり方」の発覚に対しては、大阪地検不祥事の「被害者」の村木厚子元厚労省事務次官も、取調べの全面的な録音・録画を求める声明を発表するなど、批判が高まっている。

しかし、検察官の取調べにおいて、そのような「不起訴にすることの示唆」が行われることは、河井夫妻の「多額現金買収事件」を公選法違反事件として立件し、強制捜査に着手した時点で、当然想定されていたことだった。

そのような方法を用いなければ、そもそも河井夫妻の「多額現金買収事件」について「当選を得させる目的」を立証することが困難だったのである。

政権幹部からの資金提供は、公選法違反、政治資金規正法違反には問えない

検察は、「不起訴示唆による自白誘導」という方法を使わないと「当選を得させる目的」が立証できないという苦しい状況だった。そのような検察捜査では、当時の安倍晋三首相をはじめ安倍政権の幹部4人から現金計6700万円を受け取った疑いを示すメモが押収され、そのような金の流れが疑われても、捜査の対象を政権幹部に拡大することなど到底できなかったと考えられる。

克行氏の逮捕後の取調べでも、メモについて一応話を聞いたのであろうが、本人が、資金提供を受けたことを否定したか、或いは政治活動費の提供だったと説明し、それ以上の追及は行われなかったのであろう。