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日産 ルキノクーペ(1994年)
三菱 ミラージュアスティ(初代1993年・2代目1995年)

日産 ルキノクーペ(1994年)

「今は買う価値なし?」現代で存在価値を失った“普通のクーペ”たち、1990年代最後の輝きをプレイバック【推し車】
(画像=「B14サニーの2ドア版だよね?」としか言いようがないものの、北米ではその後も現地名セントラの2ドアモデルがあった、『MOBY』より引用)

かつてB110(2代目)やB310(4代目)系のクーペがTSレースで活躍した名車だったのに対し、それ以降はサニーRZ-1やNXクーペなど、日本市場での2ドアクーペとしては奇抜なマイナー路線を突っ走ってきた日産のサニー系クーペですが、ルキノクーペはまた格別。

何しろフロントマスクはB14(8代目)サニーそのまんまでしたし、バブル時代に高評価とは裏腹に利益面で厳しかった「901運動」の足回りを受け継ぐわけでもなく、ただの「コストダウン版2ドアサニー」でしかないので、1990年代に売っていいクルマだったかどうか?

しかも日産サニー店でもハッチバック車のパルサーを売りたいとなれば「ルキノハッチ」(1995年)、RVブームに乗りたいとなれば「ルキノハッチS-RV」(1996年)を追加していき、そもそもルキノってどういうクルマだっけ?と誰もが忘れがち。

それでも1.8リッターDOHCのSR18DEを積んでオーテックバージョンを発売したり、1997年には可変バルブ機構NEO VVLを組んだ、175馬力の高性能エンジンSR16VE搭載車も発売しますが、エンジンだけよくてもシャシーや足回りの性能が追いつきません。

「普通のクーペ」としても存在意義があまりに薄く、「高性能クーペ」としてはやる気がなさすぎたルキノクーペは、名前だけの派生車より早く1999年にヒッソリと消えました。

北米ではその後も「セントラ」(北米名)の2ドアがあったので好評だったかもしれませんが、日本では何をしたいのかワッパリわからない、当時の日産を象徴するクルマだったと思います。https://car-moby.jp/article/automobile/hummer-h1/

三菱 ミラージュアスティ(初代1993年・2代目1995年)

「今は買う価値なし?」現代で存在価値を失った“普通のクーペ”たち、1990年代最後の輝きをプレイバック【推し車】
(画像=「ランサーアスティ」じゃなく、「ミラージュアスティ」だったのがよかった!(画像は初代)、『MOBY』より引用)

この種の後発クーペとしてはもっとも成功したと思うのですが、現在では「そんなクルマあったっけ?」と忘れられるのも早かったのがミラージュアスティです。

三菱では1970年代から「ギャランクーペFTO」(1971年)や「ランサーセレステ」(1975年)、「コルディア」(1982年)といった小型2ドア/3ドアクーペを扱ってましたが、「エクリプス」(1989年)から車格アップし、FTO(1994年)がその頂点。

しかしもっと手軽で安価な2ドアクーペ需要は、ユーザーや販売会社から求められていたようで、1993年に4代目ミラージュ派生車として「アスティ」を追加します。

当初は1.3~1.5リッター級で「普通のクーペ」、日産のルキノ同様にフロントマスクも既存者の使い回しでしたが、そのベースにランサーではなくミラージュを起用したので、「ダサい2ドアセダン」扱いを避けられたのが、大きな違いだったのでしょう。

やがて他のミラージュ同様、175馬力のDOHC MIVECエンジンを積んでスポーツクーペとしても開花し、1995年モデルチェンジの2代目ではボディ剛性に難のあるハッチバック版を差し置き、ジムカーナやダートトライアルでアスティを選ぶユーザーも多かったものです。

ただ、モータースポーツでの活躍はさておき、「普通のクーペ」としては市場縮小に抗えず、2000年のミラージュ廃止とともにアスティも消えてしまいました。

これがトヨタやホンダのクーペなら、タマ数も多いので安い中古車のエンジンを載せかえ、もう一花咲かせるか‥なんて話にもなるんですが、アスティでは聞いた事がありません。

4G63ターボ+4WDパワートレーンを組み、フェイスリフトすれば「ランエボクーペ」として楽しめそうですから、素材としてマイナー扱いで沈んだままでは、ちょっともったいないですね。