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皇太子殿下(今の上皇陛下)を祝して「プリンス」誕生
大衆車はやらなくとも、トラックは作る
皇太子殿下(今の上皇陛下)を祝して「プリンス」誕生
1952年、それまで電気自動車にオオタのエンジンを載せた急造車でしのいでいた「たま自動車」は、富士精密の1.5リッター直4OHVエンジンFG4Aを積む「プリンス セダン」と「プリンス トラック」を発表、ガソリン車メーカーとして本格的に再出発します。
この「プリンス」という名は、当時の皇太子殿下(2023年8月現在の上皇陛下)が同年に立太子礼を行ったのを祝したもので、当初はブランド名だったのが、立太子礼が行われた同年11月に社名も「プリンス自動車工業」へと変更。
1954年に富士精密と合併後、1961年に社名を戻すまで「富士精密」が正式社名だった時期もありますが、プリンス セダン以降のブランド名は、日産に吸収合併されるまで一貫して「プリンス」でした。
この時期のプリンス車は、トヨタの初代クラウン(1955年)より3年も早く、近代的な1.5リッター級国産セダンを実現してしまったという意味で、非常に先進的・画期的な存在です。
もっとも、試作車ができるとともに運輸省に持ち込んで認証(型式認定)を受け、そのまま試作車もユーザーに販売してしまうという大らかな時期で、プリンス セダンはいざタクシーに使うと故障続出でクレーム処理に追われたそうですが。
クルマ好きとして現在も知られる上皇陛下も、セダンを愛用したのをはじめ。スカイラインなどプリンス車を気に入っていたようですが、トラブルなどは大丈夫だったのでしょうか?
大衆車はやらなくとも、トラックは作る
プリンス セダンの後、初代スカイライン(1957年)、同グロリア(1959年)と、日産より先にトヨタと真っ向勝負できる高級セダンを送り出したプリンスですが、オーナーである石橋氏の意向で大衆車は販売せず、一種のプレミアムメーカーとして育成されました。
大衆車の試作自体は行われ、それをベースにしたスポーツカーも開発していましたが、グロリアが2代目で車格アップ後、2代目スカイラインが後の世でいうアッパーミドルクラスのサルーンへダウンサイジングされたくらい。
末期にもFF(前輪駆動)の小型車を開発し、日産との合併後に初代「チェリー」として世に出たものの、プリンスの名では一度もコロナやブルーバード、カローラやサニーのように安い大衆車を販売する事はありませんでした。
ならば高級セダン一辺倒かというとそんなことはなく、プリンストラックをはじめとして、後継のボンネットトラック「マイラー」や、キャブオーバートラック「クリッパー」、スカイラインの商用バン/ピックアップトラックである「スカイウェイ」も販売。
2代目グロリアにもバン/ワゴンはありましたし、当時の世情に合わせて商用車にも力を入れていましたが、質実剛健さが目立つライバル車に比べ、プリンスらしいスポーティなデザインが目立っています。