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なんとなくパッとしない存在から、一躍スターダムへ!
タイプR以前のインテグラって、どんなクルマだった?
なんとなくパッとしない存在から、一躍スターダムへ!
MOBY編集部が試している「AIに聞いてみた、30〜50代のクルマ好きが興味ある名車シリーズ」、今回は1995年にホンダが発売した、初代「インテグラタイプR」です。
シビックとアコードの中間を埋める、当時のホンダらしいスポーティセダン/クーペとして登場したものの、日本では微妙に存在感の薄かったインテグラですが、高価なNSXでは届かなかった「タイプR」が、手頃な価格で買えるなんて!と驚かれました。
単に昔すごかっただけではなく、今なおモータースポーツでは現役、第一線で戦える戦闘力を持つ初代インテグラタイプRを振り返ります。
タイプR以前のインテグラって、どんなクルマだった?
コンパクトカーの傑作「シビック」と、その上級版「アコード」の2台によって、日米両市場での土台をガッチリ作ったホンダですが、北米市場からは車格が上がった2代目アコード(1981年)とシビックの差を埋める「ヤング・アコード」が欲しいという要請が。
そこで、3代目シビック(1983年)の4ドアセダンをベースに、少々車格を上げて3ドアクーペ、4ドア/5ドアセダンとしたのが初代インテグラで、北米では高級ブランド「アキュラ」の立ち上げ車種をレジェンドとともに担い、狙い通り好評だったそうで。
ただ、日本ではもともとその役割を担った「クイント」後継の「クイントインテグラ」として発売、初代は当初DOHCエンジン専用車として、クイントが取れた2代目(1989年)もDOHC VTECエンジンB16A初搭載で話題となったものの、存在感はイマイチ。
スポーツ志向や経済性重視ならシビックを買うし、上級志向ならアコードを買うし…と、インテグラは中途半端だったように思います。
致命的だったのは3代目(1993年)で丸目四灯ヘッドライトを採用、「ヤツメウナギ」と言われたフロントマスクが北米では人気だったものの、日本では徹底的に大不評!
1995年のマイナーチェンジでタイプR追加と同時にフェイスリフトが行われるまで、性能はさておき日陰者という印象は否めません。
1.8リッターのDOHC VTECはちゃんとリッター100馬力の180馬力出してましたが、当時の感覚では三菱のFTO(1994年・2リッターV6MIVEC・200馬力)や、マツダのランティスクーペ(1993年・2リッターV6・170馬力)の方が上等と思われてました。