一元論と二元論

ヒッケルは「資本主義の次に来る世界」を描くために、まとめの段階で精神と物質(理性と身体、人間と自然など)に分けた「デカルトの考えに経験的証拠はなかった」(ヒッケル、前掲書:267)として、「人間は自然と同等」、「すべては物質であり、精神であり、神である」(同上:269)という一元論を採ったが、もちろんこちらにも「経験的証拠」などはなかった。これらは認識論なのだから、「経験的証拠」を持ち出すことは正しくない。

スピノザの学説の中心にあったのは究極的な原因としての神を前提とする汎神論である。神と存在全体(宇宙、世界、自然、社会など)を同一視する思想体系であり、こちらも「経験的証拠」は得られない。

デカルトとスピノザ

表2はスピノザの代表作『エティカ』の翻訳に付加された訳者の(注)である(スピノザ、1675=1924=1980:79)。これによれば、デカルトは無限実体を神として、有限実体には精神と身体(物体)の二元論を採り、属性としての思惟は精神、延長は物体の属性とした。一方スピノザは、神を無限実体として、有限実体の存在を認めず、思惟と延長も神の属性とした。

その他の説明は表2に譲るが、スピノザに依拠するとしてもヒッケルの「資本主義の次の世界」の構造は、通常の想像力ではその骨格ですら見えてこないだろう。

表2 デカルトとスピノザ出典:スピノザ、1675=1924=1980:79

スピノザに依拠したヒッケルの主張

その理由は、「人間と非人間に根本的な違いはない」(同上:270)、「植物も動物も・・・・・・等しく主観的経験を持つ存在」(同上:272)、「植物は学習する・・・・」(傍点原文、同上:278)、「木と人間は、本当の意味で、親類・・」(傍点原文、同上:278)、「植物に知性がある」(同上:283)、「自然に法的人格・・・・を与えている」(傍点原文、同上:287)、「川、川の流域に人格を与えてもいい」(同上:288)などの主張は一元論からの延長線上にあるが、どのような想像力を駆使しても、これらを通して「資本主義の次の世界」が描けないからである。

むしろ、「自然に人格」や「川に人格」というならば、自然災害や川の氾濫により毎年たくさんの死者が出る現状を鑑みると、「自然」や「川の流域」を罰したくなるではないか。

(次回につづく)

注1)ヒッケルは「すべてはつながっている」(同上:252)としたが、社会システム論の観点からもこの「すべてのつながり」そのものは納得できる。しかし、「植物と動物だけでなく、川や山などの無生物も人間とみなされている」(同上:260-261)として、これらの「つながり」を主張するだけでは「次の世界」は見えてこない。社会科学の見地から現代資本主義の「次の世界」を展望するには、企業、家計、国家を「つながり」の中心に位置づけるという試みを伴いたい。

注2)ハーバーマスは近代論、機能主義論、合理化論、国家介入主義論、資本主義論などの「最終考察」として、パーソンズから始めウェーバーを超えてマルクスへと進んだ(ハーバーマス、前掲書第八章)。これは独自の倒叙法であるが、通常は私も含めて大半がマルクス→ウェーバー→パーソンズの順番で取り上げる。

注3)兵庫県の皮革産業は室町時代から盛んであり、武具の資材としても貴重な素材であった。とりわけ姫路白鞣革は量質ともに各時代を通して代表的な皮革であり、・・・・・・徳川中期以降の全国的な商品経済の発展に支えられて、皮革業もまた全国的な商品流通の中に組み入れられ、その発展を遂げつつあった(兵庫県皮革産業協同組合連合会ホームページ)。このように牛皮産業は、兵庫県では資本主義以前から、奈良県や香川県では明治期から隆盛していた。また牛肉産業と牛皮産業はメダルの表裏に関係なので、牛肉産業を否定してその「抑制」を主張することは、同時に皮革産業の原料を乏しくすることだから、アニミズムを奉じるヒッケルの所論は、生態系の維持のために牛皮産業も廃止せよという意味が潜在的には込められていると解釈できる。

注4)ここにも「すべてのつながり」が予想される。

注5)要するに「古い体制」と「新しい体制」の間にはさまれているのであり、「『新しい体制』が何になるのか、いつ来るのか、知る由もない」(シュトレーク、2023:27)。この問題意識を私も共有してきたが、その新しい体制を私は「社会資本主義」と命名した。

注6)これは「資本主義はイノベーション・技術進歩・近代化の発動力である」(コルナイ、前掲書:30)に象徴されている。

注7)ヒッケルがアニミズムに依拠した「次の世界」は、「余剰経済」はもとより「不足経済」からもはみ出している。

注8)この4大資本については金子(2023a)を参照してほしい。なお、本連載②、連載③でも詳しくまとめている。

【参照文献】

Baruch de Spinoza,1675=1924, Ethica.(=1980 工藤喜作・斎藤博訳「エティカ」下村寅太郎責任編集『世界の名著 30 スピノザ ライプニッツ』中央公論社):75-372. Habermas,J.,1981,Theorie des Kommunikativen Handelns,Suhrkamp Verlag.(=1987 丸山高司ほか訳『コミュニケイション的行為の理論』(下)未来社). Hickel,J.,2020,Less is More:How Degrowth will save the World. Cornerstone (=2023 野中香方子訳 『資本主義の次に来る世界』 東洋経済新報社). Huntington,S.P.,2004,Who Are We?-The Challenges to America’s National Identity, Simon & Schuster.(=2004 鈴木主税訳『分断されるアメリカ』集英社). 金子勇,2013,『「時代診断」の社会学』ミネルヴァ書房. 金子勇,2023a,『社会資本主義』ミネルヴァ書房. 金子勇,2023b,「『社会資本主義』への途 ②:社会的共通資本」アゴラ言論プラットフォーム6月11日. 金子勇,2023c,「『社会資本主義』への途 ③:社会関係資本と文化資本」アゴラ言論プラットフォーム6月15日. 金子勇,2023d, 「社会資本主義」への途⑥:“Less is more.”は可能か?アゴラ言論プラットフォーム7月24日. Kornai,J.,2014,Dynamism,Rivalry,and the Surplus Economy, Oxford University Press.(=2023 溝端・堀林・林・里上訳『資本主義の本質について』講談社). Streeck,W.,2016,How Will Capitalism End?Essays on a Falling System,Verso.(=2017 村澤真保呂・信友建志訳『資本主義はどう終わるのか』河出書房新社). シュトレーク,2023,福田直子構成「グローバル化と民主主義はどこへ」『週刊エコノミスト』第101巻第17号 毎日新聞出版:25-27. Urry,J.,2000,Sociology beyond Societies, Routledge.(=2006 吉原直樹監訳 『社会を越える社会学』法政大学出版局).

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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