■ 「女性が少ない日本の政治」

日本は、政治の場に女性が少なすぎる。(略)自民党大阪府連では、女性の政治への関心を高めるプロジェクト、また、政治家になりたい女性を発掘し、地方議員として出馬まで養成していくプロジェクト「watashiba」(私場、渡し場)を開始したところである。

■ 「夫婦間の家事・育児の衡平な分担の実現」

日本では女性が家事・育児に使う時間は男性の六倍。(略)フランスは二・三倍だが家事・育児総時間自体が短い。これで外に仕事に出て「活躍」しようと言われても、男性と同様の仕事ができないのは当然だ。さらに、二人目を産もうという気もなくなる。

■ 幼児教育の「義務教育」化とフランス

六歳までの幼児教育がその子の将来の成功を大きく左右することは、様々な国際的研究で明らかになっている。

フランスはもともと九七%の子どもたちが保育園に通っていた。日本と同じだ。それでも、二〇一九年から三歳の幼児教育を義務化している。フランス語や数的概念など教育的な内容をしっかり教えるカリキュラムになっているようだ。まだ、施行してから三年弱なのでどの程度の効果が出ているのかはわからないが、ぜひ研究させてもらいたいと思っている。

■ 「子育て中の女性首相」

二〇二二年五月十日、フィンランドのサンナ・マリン首相が初来日。三十六歳の女性首相であり、四歳の娘さんがいて子育て中でもある。(略)マリン首相はこう述べていた。「フィンランドも出生率が最近は下がり気味だったが、私が首相になってから出生率はアップしている。」またマリン首相は出生率が回復したもうひとつの理由を「私のような若い女性が実際に子育てをしながら首相をしている姿を見せていることにあると思う」と語っていた。

むすび

今回の騒動では、SNSにおける情報発信の仕方、つまり政治家としての自己演出力の巧拙を論じられることが多かった。しかしそれは「見せ方」という皮相的な問題であり、実体としての政治家本人の真価を論じてはいない。

確かに民主主義においては、政治家にとって力の源泉としての国民からの支持は大切なテーマである。しかし国民の側自身が、実体に着目せずに見せ方だけを論難することは、時に「自分をどう騙してくれるのか」と迫っていることにほかならず、何割の人がその滑稽さに気がついているのだろうか。

一例をあげるなら、「ベクレている」だの「住めなくなる」だのと福島周辺を誹謗しておきながら、その反省も謝罪もなく「被災地で作業着を身にまとい泥濘除去作業」のきれいな写真をアップする俳優出身議員のほうが、国益のために働いている議員よりも評価されるなどという現状には、少なくない問題がある。それはまた、事実に基づき論考を発信する我々のような人間の機能不全でもあり、役割を担えていない自覚のある筆者は心から反省している。

今回の総括はまだ先になるが、現段階で価値ある指摘をしてくれたulalaさんに敬意を表す。また彼女自身の記事が近々アップされるとの予告を旧ツイッターで拝見したのでそれも楽しみにしている。

最後に、松川るい議員が自著の中で表明している信念を掲示し、我々の側の松川議員に関する理解の深化をはかりつつ、氏のさらなる飛躍を祈念したい。

■ 「外交官時代から変わらぬ政治家松川るいの信念」

「日本の国益のために、そして日本国民のために、自分の持てる情熱や能力の限りを尽くしたい」これは、外交官になったときからの、そして政治家としても変わらぬ一環した自分の信念である。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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