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『アーネスト・コール~ハウス・オブ・ボンデージ』展
世界を動かしたコールの写真

『アーネスト・コール~ハウス・オブ・ボンデージ』展

【オランダ】アムステルダムの穴場美術館「Foam」で楽しむ写真展
(画像=『たびこふれ』より引用)

私が2023年6月にFoamを訪れた際は、『アーネスト・コール ~ハウス・オブ・ボンデージ』展が開催されていました。アーネスト・コール (1940-1990) は、南アフリカ初の黒人フリーランス写真家で、アパルトヘイトの実態を命がけで撮影し、精力的に報道したことで賞賛されました。

今回の展覧会では、1967年に出版されたコールの写真集『House of Bondage(ハウス・オブ・ボンデージ)』に掲載された写真のほか、アメリカ移住後に撮影された未発表の写真、2017年にスウェーデンの銀行の金庫室で発見された6万点のネガやコンタクトプリントなどが展示されています。

私は今回初めてコールの写真を目にしましたが、人種差別を受けた当事者が内側から撮影した人々の表情や光景には心に迫るものがありました。

【オランダ】アムステルダムの穴場美術館「Foam」で楽しむ写真展
(画像=<黒人の鉱山労働者は40平米ほどの部屋に20人が暮らし、棚のようなコンクリートのベッドのみが唯一の個人のスペースだった>、『たびこふれ』より引用)
【オランダ】アムステルダムの穴場美術館「Foam」で楽しむ写真展
(画像=<白人と黒人の居住区は分けられ、黒人は辺境不毛の地に設けられた「ホームランド」に強制的に退去させられた>、『たびこふれ』より引用)
【オランダ】アムステルダムの穴場美術館「Foam」で楽しむ写真展
(画像=<黒人出稼ぎ労働者たちは産業地区に住むことを許されず、大都市近郊の「タウンシップ(黒人専用の居住区)」から、長時間の混みあう通勤を余儀なくされた>、『たびこふれ』より引用)
【オランダ】アムステルダムの穴場美術館「Foam」で楽しむ写真展
(画像=<黒人生徒の1人当たりの教育予算は、白人生徒の10分の1程度で、黒人用の学校には机もなく、700人の生徒に対して教師は3人のみだった>、『たびこふれ』より引用)
【オランダ】アムステルダムの穴場美術館「Foam」で楽しむ写真展
(画像=<黒人用の病院は設備が不十分で、小児科では重病の子どもが3人でベッドをシェアし、それ以外は多数が入り交じる環境だっため、しばしば感染症が蔓延した。大人の患者も重病でない限り、椅子や床の上に寝かされた>、『たびこふれ』より引用)

コールは反アパルトヘイト運動の指導者や黒人ジャーナリスト、ミュージシャンたちとの人脈を広げるうちに、アパルトヘイトの実態を記録して伝えようという意志を固めました。タウンシップや鉱山、学校、病院などで、当局に見つからないよう細心の注意を払いながら、自由と尊厳を奪われた黒人の生活を大量に撮影し、1966年に南アフリカからの脱出を企てます。

世界を動かしたコールの写真

【オランダ】アムステルダムの穴場美術館「Foam」で楽しむ写真展
(画像=<ドイツのニュース週刊誌『シュテルン』に掲載された、アメリカの政治家ロバート・ケネディによるアパルトヘイト政策批判の記事 "神は黒人ではないと誰が言ったのか?">、『たびこふれ』より引用)

コールは1966年にニューヨークに向けて秘密裏に出国し、その翌年には一連の写真が『House of Bondage』として出版されました。写真集は大きな反響を呼び、アパルトヘイトに世界の注目が集まりました。南アフリカは『House of Bondage』の発行を禁止し、コールは国外追放となりました。

コールはその後二度と南アフリカの大地を踏むことなく、病気により49歳の若さでこの世を去りました。彼の作品は今なお人々の心に訴えかけ、ヨハネスブルグの「アパルトヘイト博物館」をはじめ、ケープタウンやニューヨーク、ロンドンなどで展覧会が開催されています。2022年には『House of Bondage』がニューヨークのAperture社から再出版されました。