■ 2回目は湯川晃の炎上史上、最悪の結果に
続いての大規模炎上は2013年に起きました。
その間、「F11のイベントの料理が酷いとネットで話題」や、「ロッテリアの絶妙バーガーを返品してみた」などの記事を出し炎上しましたが、湯川晃の炎上史上的には大規模とはいえないレベルだったので本稿では割愛します。
なお、この少し前の2010年にはアスキーに取材され「なぜ秒刊SUNDAYはわざと炎上する方向に進むのか?」という記事が公開されました。現在でも読むことができるので、当時の詳しい状況を知りたいかたはそちらをご覧ください。
さて、2回目の炎上は、湯川晃の炎上史上、最悪の結果となりました。詳細ははぶきますが、ある芸能人が死去したことを他の話題に絡めて紹介してしまったことです。
発端は人の死ということもあり、今思えば不謹慎中の不謹慎。しかし、当時の筆者は「炎上慣れ」しすぎてしまい、人の不幸や悲しみに対して感覚が麻痺。どんどん燃える方向にばかり意識が向いてしまい、「どう書くと人が傷つくのか」という感覚が鈍かったように思います。
その頃の「秒刊SUNDAY」は順調にPVが伸びていた時代。個人ブログから脱皮し、外部メディアである「大手ニュースサイト等」複数に配信も行うようになっていました。こうしたおかげもあって、知名度はかなり上がっていたのですが、この時の炎上は配信先にも向けられました。
結果、各社に多大なる迷惑をかけることとなり、ついには配信契約が強制終了。「大手ニュースサイト」からは「出禁」となり、一切コンタクトが取れなくなってしまいました。
「謝罪をさせてくれ」というメールをいれても返信が貰えないという、非常に切なく辛い日々を過ごし、「これがネット炎上の怖さか」とようやく気がついたのです。
最も悔しいのは、仲の良い取引先でも「炎上楽しみです」「湯川さんなら何でも来いですね!」など、かなりもてはやされていましたが、いざ炎上が発生すると、周囲が一切縁を切るという、見事なまでの「トカゲの尻尾切り」をされたこと。
ただ、「コピペブログ騒動」の炎上とは明らかに質が違い、だれも擁護できないことは重々承知だったので、何も言えません。
そして、これを境に「湯川晃」というライター名を捨て、新たに別の名前で執筆をすることにしました。その名前は後ほど紹介します。

■ 3回目の炎上は狙わずして起こした
最悪の炎上まで経験したものの、実はその後も小さい炎上は立て続けに起こしています。炎上に慣れすぎて、ましてや「最悪の炎上」まで経験してしまったからか、ちょっとした炎上には今度は気がつかなくなっていたのです。「どう書けば人を怒らせるか」というのが分からなくなっていたのかもしれません。
そんなときに狙わずして起こしてしまった炎上が、ある人気作品の記事。詳細ははぶきますが、とにかく多くのファンを怒らせてしまいました。
しかし炎上に慣れきってしまっていた筆者。ここでもやはり感覚が麻痺していたのでしょう。SNSが普及していた時期だったこともあり、かつては炎上させる側との「直接バトル」はできませんでしたが、X(旧Twitter)でそれも可能に。記事外で積極的に対応してしまったのです。
すると今度は投稿の多くが拡散され、さらなる炎上に。挙げ句の果てには、仲の良かった人気インフルエンサー等にまで盛大にいじられる始末。結果、収拾がつかなくなってしまいました。
ちなみにこの頃は「たまちゃん」という名前で執筆しております。筆者を長年ウォッチしていらした方や、「インターネット老人会」の中には気づいていた方も多いかと思われます。そう、「湯川晃」と「たまちゃん」は名前が全く異なるものの、中の人実は同じです。