皆さんこんにちは、もしかしたら「はじめまして」の方もいるのかもしれません。私、元炎上ブロガー「湯川晃」と申します。
おそらく現在のインターネットにおいて知っている人の方が珍しい、かなりマニアックな人間であるかと思いますが、一部では「元祖炎上系」や「ネットの放火魔」と呼ばれ、いまだ憎まれている存在でもあります。
私はかつて、数々の炎上を起こし多くの人たちを困らせ、迷惑もかけ、そして現在はひっそりと生活をしている身です。
ただ、今回はせっかくこのような場をいただいたので、なぜ炎上を繰り返してきたのか、そしてなぜやめたのか、その辺をぶっちゃけて話してみようと思います。
【編集部より】
本稿に度々登場する、WEBメディア「秒刊SUNDAY」と、湯川晃氏とは現在関わりがありません。しかし、湯川氏の過去を語る上では「秒刊SUNDAY」の名前は隠す方が困難だと考え、そのまま掲載しております(湯川氏との関わりについてはWikipediaや他社のニュース記事に掲載されており公然です)。こうした事情ふまえ、本稿はあくまで「湯川氏の体験」が主軸であることご理解ください。
■ 個人ブログが炎上媒体になるまで
筆者こと湯川はかつて、個人で「秒刊SUNDAY」という媒体を立ち上げ、運営していました。立ち上げたのは2003年、今から20年前の出来事です。当時はまだHPが主流という時代。ブログも2003年に日本で広く展開が始まったばかりという時期でした。
ちなみにこの「秒刊SUNDAY」は後に会社組織として運営を行うようになり、さらに今では全く別の企業が運営。炎上とは無縁な、通常メディアとして活動されています。筆者とも関係がありません。その点のみ最初に強くご承知ください。
さて、話を戻しますが2003年当時、さまざまなブログ系メディアが登場し始めました。ブログ系メディアとは、ブログシステムを使って情報を配信するWEBメディアのことです。収益手段はアフィリエイト。
現在では「ブログ系メディア」でも「従来メディア」でもその辺あまり区別がなくなっていますが、当時はしっかり区別された存在。アマチュア(ブログ)、プロ(従来メディア)といった感じの認識です。よって、個人の配信者が多く参入。湯川もその一人でした。
開始した当初は、海外サイトでみたニュースの紹介記事や、ITガジェット記事などをメインに紹介する、良くも悪くも「よくあるブログ」。それがどうして「炎上ブロガー」「炎上系媒体」と呼ばれるようになったのか?初期からの大規模な炎上を順に追って紹介していきましょう。
現在ではYouTubeやSNSに数多くの「炎上系」が存在しています。炎上し続けると、どうなるのか?という結末も含めて、「炎上」という存在そのものについて、今後みなさんで考えていただくきっかけになれば幸いです。
■ 一回目の炎上「コピペブログ騒動」
「炎上」というと、今ではインターネットでは当たり前の現象ではありますが、私が最初に「炎上」を起こしていたのは、今から17年近く前の2006年春頃にあった「2ちゃんねるのコピペブログ騒動」の頃。
厳密には「炎上」よりも「祭り」と呼ばれていた時期です。

今で言う「2ちゃんねるまとめサイト」が、2ちゃんねるのスレッドを無断でまとめて収益化しているのはいかがなものか。という点から騒動が大きくなり、私もそれに参戦。いや、参戦というより「まとめサイト側」を擁護し、マッチポンプ的にネット民を煽り、結果私が運営していたブログ「秒刊SUNDAY」に飛び火し、見事に炎上。
そのため、当時インターネット上には私の個人情報やmixiにあった家族の写真などがばらまかれ、挙げ句の果てには住んでいた家の写真までネット上に掲載。
中には自宅まで来た人もいたらしく、ネットの掲示版には「こんな狭い家に住んでいるんだw」など書き込まれる事態にまで発展。
当然ながら、そんなことをされたら警察に助けを求めるべきでしたが、私はその逆を行き、むしろ向かってくる無数の誹謗中傷に立ち向かってしまいました。当然ネット住民はさらに怒り狂い、炎上の歯止めがきかないように。延々燃え続けることになったのです。
一方でその影響で多くの方々にサイト名を知ってもらえるきっかけになり、PVも上昇するしむしろ「炎上は美味い」ということを実感。
当時はまだ確立していなかった、「自らに非難を集める(炎上する)」ことで知名度を上げる「炎上マーケティング」として、集客ツールに使えるのではないかと考えはじめました。
ただ、サイトで広告収益を得ていたため、クライアントに影響が出ることを恐れ、一旦はフェードアウトし、ほとぼりが冷めるのを待ったのです。
もちろん当時の筆者は、「今後この手法を自分だけの“オンリーワンの特技”にしよう」と考えていたのは、言うまでもありません。