小括
1970年代は波乱の10年だった。前半にオイル・ショックがあった。これは外生ショックだったが、内部では福祉国家の行く末が危ぶまれていた。財政問題が既に表面化していた。
第三楽章にとって安心材料もあった。それは既に述べたように社会主義体制の綻びであった。不足経済を象徴するかのような光景、すなわち食料品店の棚がカラになり、それでも人々が買い物の待ち行列を作る。その情景が資本主義国のテレビに映し出された。どんな理屈よりも説得力があった。
資本主義国内の社会主義支持勢力は徐々に衰えていった。シュトレークが労働者1,000人あたりのストライキ日数のグラフを示している。イギリスを除いてその件数は1980年代に激減する(シュトレーク、前掲書、図2-3)。資本主義は政治的には安定し、保守勢力はどんな理論も使うことができた。こうした状況のなかで選ばれたのが新自由主義であった。
それは、市場万能、小さい政府、金融依存などの柱で支えられているとはいえ、かなり雑な理論であったが、元祖フリードマンの強圧的な物言いに乗って各国のリーダー達の支持を集めた。
しかし、新自由主義の下でも財政赤字は解消しなかった。特にアメリカは強い国を推進するために軍事費を増額した。軍事ケインズ主義だが、これはすでに台頭してきた中国を強く意識したためである。この構図は現代でも続いている。
第二楽章の主旋律である福祉国家はその分、後退したが、国内の人々の支持は気になったから、それぞれ時と場合によって人気取り政策は進められた。ポピュリズムが展開した。だから普段は無関心で、選挙になるとお金をばら撒く政党に投票する人が増えた。
こうした政治状況の中では、長期的な政策を提示するのは難しい。すぐに実効を示せない政策は前面に出られない。最も不人気なのは環境政策であった。国際面ではニュースになっても国内の政治スローガンにはならない。だから京都議定書も、せっかくの国際合意であったのに、アメリカの不参加などに典型的に示されるように前進はしなかった。
これといった成果も前進もないままに第三楽章はダラダラと進み、気が付けば21世紀を迎えていた。ただひとつ、世界的に前進したのは金融化であった。金融にはあらゆるものが味方した。圧倒的な利潤が高給を恒常的にし、世界中から人材が集まった。コンピューター技術、通信技術を最も活用した産業であり、理論的武装も充分(当時はそう思っていた)だった。既に述べた先物に代表される数々のデリバティブ、証券化などツールはたくさんあり、利潤の源泉に事欠かなかった。
しかし、金融の上る階段の先には、後に見るように大きな落とし穴が待っていたのだ。
統計による補足第二楽章は戦争の時代を含む前半と、復興から始まる後半に分けられる。表3はその後半と、第三楽章の時期のGDP成長率を主要各国で比較している。
1950~1973年の世界計は4.9%であった。世界は順調に成長したことがわかる。中でも日本の貢献は顕著であった(9.29%)。今から思えば夢のような高度成長期があった。英国は、いわゆる英国病に苦しみ、まだ回復していないが、EUの中核国であるフランスとドイツは5%台であった。
第三楽章(1973~2003年)では様相はかなり変化する。
日本経済の沈没は明らかであり、1997年からの金融危機を引き金とする停滞、失われた時代、デフレ時代の初期が反映している。英・仏・独の三国も低成長だが、英国は相対的によく見える。世界計は第二楽章に比べると3.17%とかなり落ちるが、この程度で留まったのは中国とインドの伸長があったからだ。成長至上主義的な表現を敢えてすれば、世界は中国とインドに救われたのであり、その状況は今日(第四楽章)まで続いている。

表3 世界のGDP成長率(%)出典:アンガス・マディソン、『世界経済史』、岩波書店、2015年の付録統計をもとに作成
表4は、GDPの成長要因の基本的なものについて、米国、英国、日本を比べている。
アメリカはすべての項目で右肩上がりだ。人口、労働人口、労働時間のすべてが増加した背景のひとつには移民がある。
注目するのは、従業員一人あたりの教育年数である。アメリカは1950年~2003年で倍に近い伸びだ。これには、いわゆる学校の他に、コミュニティ・カレッジ、企業内教育なども含まれているが、アメリカの労働者の質は高くなっていることが推測される。質が保たれ、かつ従業員数も総労働時間も増加している。

表4 米国・英国・日本の成長計算の構成要素(1850~2003年)出典:アンガス・マディソン、『世界経済史』、岩波書店、2015年の付録統計をもとに作成
両者の掛け算の値が経済的パワーだとすれば、そしてこの傾向が第四楽章でも続いているとすれば、リーマン・ショックからの早期の回復を説明できるかもしれない。また、第四楽章における、OECD諸国の中での一人勝ちを説明できるかもしれない。
(次回につづく)
■
注1)全国大学生協共済生活協同組合連合会編集、第1章、『2012・協同組合(国際協同組合年によせて)』、コープ出版、2012年。(この本は私の著作であるが、当時の事情の下、大学生協共済連の編として出版した。尚、2012年は国連の定めた国際協同組合年で各団体が様々な催しを行った。私が会長理事であった大学生協共済連も参加し、その一環として本書が企画・出版された。)
注2)濱田康行、「資本主義の終焉と株式市場」、p.135、『地域経済ネットワーク研究センター年報』(北海道大学大学院経済学研究院地域経済経営ネットワーク研究センター)、第11号、2022年
注3)レーニンについての研究書は、それこそ山のようにあるのだが、ここでは最近の出版でかつ手に入りやすい文庫本になった2冊を紹介したい。
白井聡、『未完のレーニン』、講談社学術文庫、2021年。この本の原版は2007年に出版されている。著者の修士論文が基になっている。『国家と革命』(1918年)と『何をなすべきか?』(1902年)の2冊の著作を題材にレーニンの思想の特質を語る。
白井聡という驚くべき才能の持ち主が、そのあとがきで“驚くべき書物”として挙げているのが、中沢新一の次の書物である。
中沢新一、『新版 はじまりのレーニン』、岩波現代文庫、2017年。原版は1994年の出版である。
社会主義は滅んだ。その理論としてのマルクス・レーニン主義も話題にすらされなくなった。ロシア革命の指導者であるレーニンは“神格化”され、旧ソ連のみならずあちこちに銅像が建てられたが、その後、様々な史料が明らかになるにつれ、人物についての悪評がまさるようになった。政治家として政敵に非道な措置を取ることも厭わなかったという。
だから、いまさら、なのだが、こういう状況下に二冊の本が出たことは意義深い。鬼才中沢は“はじめに”に象徴的な言葉を書いている。
共産主義思想の現実化と言われたもの、レーニン主義を体現すると言われてきたもののすべてが、いまや解体した。器が壊れたのだ。だが、そのとき、器の破壊の瞬間に、そのなかからとびさったものを、私達は見失うべきではない。
注4)東欧に身を置きながら、コルナイは社会主義経済と資本主義経済を冷静に見つめている。資本主義の革新性を象徴するのはイノベーションであり、常に供給過剰の状態を作り出す。他方で社会主義は不足経済になるが、その主因“ソフトな予算制約”にあるとする(コルナイ・ヤーノシュ、『資本主義の本質について イノベーションと余剰経済』、溝端佐登史、堀林巧、林裕明、里上三保子訳、講談社学術文庫 2023年)。
注5)アメリカの経済学者(1921年~2006年)。規制のない自由経済を主張し、新自由主義の教祖。アメリカに留学した日本の官僚、学者に大きな影響を与えた経済学者。
注6)金融の比重の増大については多くの言及がある。その一つを引用しておく。
産業別の雇用者数の比率をみると、1980~1984年では製造業22%、金融業12%でしたが、2005年には各々11%、19%になり、製造業が衰退し、金融業が活発になったことは確かです。(菊池英博、『新自由主義の自滅』、p.69、文春新書、2015年)。
これはアメリカの事情である。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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