本田 宗一郎は世を去り、ホンダもF1を去った
大きく立てられたMP4/5のリアウイングは、「マルボロ」(タバコ)の宣伝にはなったものの、新技術の集大成となるF1では当時すでに時代遅れとなりつつあり、あえて古臭いからこその信頼性で最後の黄金期を戦った。 さらにこの頃、ホンダは苦境にあえいでいました。
第一線から離れて久しいとはいえ、「ホンダの魂」も同然だった創業者、本田 宗一郎 氏が1991年8月5日にこの世を去り、そしてホンダ自身も、ブームとなっていたRVの手駒がなく、バブル崩壊後の販売不振に何ら手を打てなかったのです。
バブル崩壊で国内史上での販売が壊滅したホンダは、1994年に初代シビックすら上回る空前の大ヒットとなった初代オデッセイを発売するまで、国内市場の売れ筋から完全に取り残されるどん底にありました。
さらに世界的にも販売不振となっており、もはやF1どころではなくなり、1992年シーズンを最後に第2期ホンダF1を終了、日本と第2期ホンダF1はほぼ同時期に絶頂に達し、そしてほぼ同時期に果てて力尽きたのです。
なお、ホンダのエンジン技術は無限に引き継がれ、その後のF1では無限エンジンがホンダの代わりに走り続けました。
ホンダが「RVで儲けた金でF1参戦」などとアレコレ言われつつ、第3期F1として復帰するのには2000年を待たねばなりません。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
文・MOBY編集部/提供元・MOBY
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