1950年代との違いを見せつけた、優雅な2代目

今や「名前は聞いたことあるけど見たことはないクルマ」?4代にわたるプリンス/日産 グロリアの魅力【推し車】
(画像=『MOBY』より 引用)

同時期のクラウン(2代目)やセドリック(初代)より断然カッコよくスポーティだった、2代目グロリア スーパー6

1962年9月には2代目へとモデルチェンジ、翌年に1.5リッター級セダンとしてダウンサイジングされるスカイラインとの違いを明確化し、メッキモールを多用した優雅なフラットデッキスタイルの、5ナンバーフルサイズ高級セダンとなります。

初期こそ初代と同系統の直4OHV「G2」型1.9リッターエンジンを搭載したものの、翌年には戦後初の乗用車用直6エンジン、国産初のSOHCエンジンと初めてづくしだった「G7」型2リッターエンジンを積む「グロリア スーパー6」が登場。

1963年の第1回日本グランプリでは、G2型搭載車がトヨペット・クラウンやいすゞ ベレルどころか、日産 セドリックにすら負ける惨敗を喫したものの、翌年の第2回ではスーパー6のG7パワーと、多数出走させてのチームプレイでライバルを翻弄、余裕で勝利します。

2代目はその後もスーパー6をイメージリーダーとした発展や派生モデルが開発され、G7を積むエステート(5ナンバーワゴン)やワゴン(4ナンバーバン)、オートマ車を追加。

さらに1964年5月にはG7を2.4リッター化した3ナンバー高級モデル、「グランドグロリア」を開発、宮内省御用達メーカーの最高級モデルとして公用車に使われたほか、ホイールベースを延長した特装車は皇太子殿下(現在の上皇陛下)が愛用したとも言われています。

モデル末期の1966年8月にはプリンスが日産に吸収合併されて「日産 プリンス・グロリア」と改名、純粋なプリンス グロリアとしては2代目が最後になりました。

最初の日産 グロリアであり、プリンスが最後に開発した3代目

今や「名前は聞いたことあるけど見たことはないクルマ」?4代にわたるプリンス/日産 グロリアの魅力【推し車】
風格という意味ではクラウンがようやく追いつき、セドリックはまだまだ…という時期、3代目グロリアをプリンス車として発売できず、しかしセドリックとの姉妹車化は免れたことで、関係者は複雑な想いだったしたはず(画像=『MOBY』より 引用)

1967年4月に3代目へモデルチェンジすると、当然のごとく「日産 グロリア」になるわけですが、1年足らず前までプリンスでしたから普通にプリンス車として開発され、この時点ではまだセドリックの姉妹車ではありません。

先代に引き続き、ヨーロッパ風アメ車調というか、アメ車風ヨーロッパ調というか、両者のいいとこ取りをしたような優雅なスタイルが特徴で、宮内庁へ納入した御料車「プリンス・ロイヤル」とも似た、まさに宮内庁/皇室御用達メーカーの面目躍如。

シャープで高級感を感じさせる直線的なデザインに縦目4灯式ヘッドランプの組み合わせは、同じ縦目4灯でも初代セドリック初期型の寸詰まりアメ車的デザインとは月とスッポン、往年のプリンスファンなら、この路線で独立していてほしかったところでしょう。

現実には3代目から「日産化」は着々と進み、直4OHVエンジンはハナからプリンスG2ではなく日産H20を、1970年には直6SOHCエンジンもメルセデス・ベンツを模範にしたという意味では異母兄弟のような、プリンスG7から日産L20へと換装されました。

国産縦目4灯ヘッドライトでは傑作ともいえるデザインで、「タテグロ」などの愛称で親しまれ、アメ車風カスタムもよく似合う1台ですが、プリンスオリジナルのグロリアは残念ながらこれが最後となります。