セレンディピティの原理を知っておきたい

さらに第十三として、「わたしたちはもっと賢くなるべきだ」(同上:205)と宣言したのはいいが、「イノベーションを起こすために必要なのは経済全体の成長ではない」(傍点原文、同上:204)との段階で止まった。しかも、逆に直接投資して、「対象を絞った政策によって投資を奨励するほうが理にかなっている」(同上:204)については納得できない。

なぜなら、日本での身近で有益なイノベーションとしてのウォークマン、シャチハタ、ごきぶりホイホイ、カップヌードル、ハイブリッド車などの多くが、セレンディピティの原理から生まれているからである注6)。

「科学には大きな秘密がある。それは、探し求めている多くは実際に発見されることがなく、また発見されてきたものの多くは狙って探し求めていたものではない」(マイヤーズ、2007=2015:45)。これこそがイノベーションの原理であって、「対象をしぼった政策」によりイノベーションが発生することはむしろ稀である。

「誰がもっと賢くなるべきか」

第十四には、「新しい進歩の指標」への過大な期待と限界が同時に語られた。GDPは役に立たないから、HDI(人間開発指標)やBLI(ベターライフ・インデックス)、ISEW(持続可能経済福祉指標)、GPI(真の進歩指標)などを立て続けに紹介した(同上:206)。

そして、「どの代替指標でもかまわない」(同上:207)といいつつ、あれだけ批判したGDPも「論理的必然性のない経済指標ではない」(同上:208)と評価を一変させて、「もっと賢くなるべきだ」(同上:208)と結論する。これは誰に向かって投げかけたのだろうか。

これまでの文脈を活かせば、賢くなるには、「幸福度」は相対性に富むことを理解して、クリーンエネルギーでも膨大なCO2排出を伴い、市場原理と公共政策は対立よりも国家が併用することで資本主義の運営が可能になることをしっかり認識することであろう。

「成長しなくても繁栄できる」は証明されたか

「成長しなくても繁栄できる」を「成長を経済の中心から外した時」(同上:210)とも表現するヒッケルが使う信念は、「必要性の低い生産形態を縮小し、強力な社会的成果を支えることを軸として、経済を組織する必要がある」(同上:210)と表現された。

しかしすぐに気が付くことは、「必要性の低い・高い」の議論にとっては、その判断基準をどこに置くかで結論が大幅に変わってくる。しかも、同時に「世界のエネルギー消費の削減」を主張しながら、その直後には「低所得国は人々の必要を満たすためにエネルギー消費を増やす」という指針を出している。

たとえば新幹線は高度産業社会を維持するために日本では絶対必要だが、その動力には火発・原発よりも発電量が2桁低い「再エネ」ではどうにもならない。また、新幹線の技術を他国に輸出しても、その国の都市装置としての発電所、鉄道駅、道路などの社会的共通資本が満たされていなければ、新幹線は走らない。加えて、制度資本としての教育を通して、設計者や整備士、それに運転士を始めとする各種の技術者が育ってきたことも新幹線が日常的に走る条件になる。

対象を絞るだけでは、社会システム全体のBLIやウェルビーングの向上をもたらすことはない。

「成長を必要としない経済」での「人間の繁栄」とは?

これらを無視した「脱成長」は現実離れに終わる危険性が大きい。とりわけ「GDPは重要ではない」(同上:211)という立場で、「成長を必要としない経済に移行する」(同上:211)ことは「生態系は安定」しても「人間の繁栄」は得られないであろう。

ヒッケル自身が「人間の繁栄」を定義しないから、「繁栄」を勝手に探れば、平均寿命の延び、義務教育の徹底、途上国では識字率の上昇、高等教育の普及、農業・工業・商業による所得の向上、国民全体の栄養状態の改善、住宅事情の好転、「人権」の重視、自由度、平等度、博愛主義の徹底などが想定できる。

しかし、たとえば「ウェルビーング」の議論では必ず取り上げられ、ヒッケルも207頁で触れているブータンの識字率は、国際統計格付センターの資料によれば、52.8%(2005年)であった。合わせて、国際協力NGOワールド・ビジョン・ジャパンのホームページによると、「識字率が低い国は、『5歳児の死亡率』が高いという特徴」があることを記している。そうすると、それを「人間の繁栄」というには苦しくなるのではないか。

(次回へつづく)

注1)この3者の主張について、とりわけラワースとラトゥーシュについては、金子(2023)で詳細に論じている。なお、サターの本には翻訳者が明記されているが、原著が示されていなかった。

2)ラワースも斎藤もラトゥーシュも、「脱成長」は同じ文脈での使い方である(金子、2023)。

注3)日本の産業化・近代化過程でもこれらの事例は確認できるが、その達成の原動力を「チャ-チスト運動」と「ミュニシパル・ソーシャリズムの運動」とするのは困難である。

注4)イースタリンのパラドックスの問題点やラワースの限界については、金子(2023:261)に詳しい。

注5)平等を是とした社会主義でも大きな「特権階級」が生じたことから、資本主義での「格差」とその「特権階級」もまた同類項だという認識もできる。

注6)セレンディピティについては、金子(2018:64)に詳しい。通常の定義は「予期されなかった、変則的な、また戦略的なデータを発見すること」(マートン、前掲書:97)である。

【参照文献】

Hickel,J.,2020,Less is more:How Degrowth will save the World. Cornerstone (=2023 野中香方子訳 『資本主義の次に来る世界』 東洋経済新報社). Kallis,G.,(et al.),2020,The Case for Degrowth,Polity Press,Ltd.(=2021 上原裕美子・保科京子訳『なぜ脱成長なのか』NHK出版). 金子勇,2023,『社会資本主義』ミネルヴァ書房. Kornai,J.,2014,Dynamism,Rivalry,and the Surplus Economy, Oxford University Press.(=2023 溝端・堀林・林・里上訳『資本主義の本質について』講談社). Latouche,S.,2019,La décroissance(Collection QUE SAIS-JE? No.4134) Humensis.(=2020 中野佳裕訳『脱成長』白水社). Merton,R.K,1957,Social Theory and Social Structure,The Free Press.(=1961 森東吾ほか訳『社会理論と社会構造』みすず書房). Meyers,M.A.,2007,Serendipity in Modern Medical Breakthroughs, Arcade Publishing. (=2015 小林力訳『セレンディピティと近代医学』中央公論新社). Raworth ,K.,2017,Doughnut Economics : Seven Ways to Think Like a 21st Century Economist , Chelsea Green Pub Co.(=2018=2021 黒輪篤嗣訳『ドーナツ経済』河出書房新社). 斎藤幸平,2020,『人新世の「資本論」』集英社. サター・中村起子訳,2012,『経済成長神話の終わり』講談社.

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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