どちらがおとぎ話か
第三に、「クリーンエネルギーへの移行は莫大な量の金属と希(レア)土類(アース)を必要とし、それらの採取は生態系と社会にさらなる負荷をかける」(同上:146)と正しい認識を示す半面で、「エネルギー移行は太陽光と風力に焦点を合わせるしかない」(同上:150)という結論を引き出す。これもまた非論理的であろう。「太陽光と風力」に依存しても、装置そのものの製造と販売では、CO2排出がないというようなクリーンさはあり得ないからである。
第四に、「グリーン成長の提唱者はついにおとぎ話に頼り始めた」(同上:165)と批判しながらも、ヒッケル自身もまた「二元論」を否定した「アニミズム」の世界を持ち出してくる。「現在の経済を維持するためにSF的なおとぎ話を想像するくらいなら、全く違う種類の経済を想像してみてはどうだろうか」(同上:171)は、アメリカ、G7、GN、中国、インド、GSなどの国々ではどのような具体例になるのか。
成長を批判しつつ、その成果を享受する第五には、「資本主義の歴史の大半において、成長は一般庶民の福利を向上させなかった」(同上:177)と結論づけながら、「公衆衛生」の改善や「公的医療制度、ワクチン接種補償、公教育、公営住宅の実現」も「賃金や労働条件の改善も導いた」(同上:178)と指摘した。
ヒッケルはこの媒介として「チャ-チスト運動」と「ミュニシパル・ソーシャリズムの運動」(同上:178)を挙げたが、その根底に「成長」という資本主義の果実があればこその成果であろう注3)。
第六に、「もちろん、公的医療保険、公衆衛生設備、公教育、適正賃金といったものは財源を必要とする。経済成長はそれらの実現を助けるだろうし、貧困国では経済成長は不可欠でさえある」という認識を示す一方で、「分配が肝心なのだ。もっとも重要なのは、万人向けの公共財への投資である」(同上:180)とした。
「低所得国」なりに「分配」はもちろん可能だが、GNでの経験が教えるように、「公的医療保険、公衆衛生設備、公教育、適正賃金」などを「万人向け」に満たすには、それなりのGDPに裏付けられた経済成長による豊かさが必要なのではないか。
「イースタリンのパラドックス」の限界第七に、「幸福感とGDPとのつながりが希薄」とする「イースタリンのパラドックス」を評価していることがあげられる。これはラワースも同じであった(ラワース、前掲書:379)。
一般的にいえば「幸福感」の調査では、回答者が自然なかたちでマートンのいう「準拠集団」(reference group)もしくは「準拠的個人」(reference individuals)を想定して、その比較の結果として「幸福感」を答えることに無知だったからである。
経済学も経済人類学も社会学の「準拠集団」論に配慮できないから、このような誤解が生じる。これは「個人が自分や他人を評価する場合、・・・・・・比較の枠を与えるもの」(マートン、1957=1961:258)であり、その場面では、回答者の所得の多さや階層の高さ、それにその国のGDPの高さが、回答者の「幸福度」を直接左右しないのである注4)。
買うためにも「経済力」が必要第八に、「人間の幸福に関して言えば、重要なのは収入そのものではない。その収入で何が買えるか、より良く生きるために必要なものにアクセスできるかが重要だ」(ヒッケル、前掲書:191)と指摘しながら、「必要なもの」を製造販売する経済力、もしくは輸入できる経済環境や商品の交換価値への言及がない。
第九として、「社会的目標を達成するためにこれ以上の成長が必要でないのは、多くの証拠から明らかだ」(同上:192)とのべたが、G7、GN、GSのいずれの国も「成長」の段階が異なることへの配慮がなかった。それぞれの国ごとの「これ以上の成長」段階が違うのだから、各国が設定した「社会的目標」は文字通り同床異夢であろう。
第十に、「もし成長が平等の代わりになるのであれば、平等は成長の代わりになるはずだ」(同上:202)という根拠が見当たらない。ここには平等を標榜して誕生した社会主義(共産主義)が、最終的には成長を目標とする資本主義に敗れた事実の分析がなされていない注5)。
イノベーション第十一として、「気候危機を解決するにはイノベーションが欠かせない」(同上:203)と言いながらも、「成長は必要とされない」(同上:203)と明言する。なぜなら、「これらの目標を達成するには経済全体の成長が必要だ、という仮定を裏付ける証拠は存在しない」(同上:203)が、ヒッケルの現状認識にあるからである。
ただし、現在の世界システムを見ると、成長は不要だという証拠もない。むしろ、社会主義システムよりも資本主義システムのほうが、イノベーションはスピードが速いという研究成果が得られている(コルナイ、2014=2023:58)。
コルナイによれば、イノベーション過程を可能にし、それを推進する資本主義経済の特徴は、次の5点に集約される。すなわち、(A)分権的創意性、(B)巨額の報酬、(C)競争、(D)広範囲の実験、(E)投下を待つ資本準備、融資の柔軟性であった(同上:60-63)。クリーンエネルギーにしても「再エネ」でも同じだが、アニミズムの世界からは(A)から(E)までの世界は描かれないであろう。
「市場原理」と「公共投資」は対立か併用か第十二としてあげておきたいことは、ヒッケルが「市場原理」と「公共投資」を対立させて議論した点である(同上:204)。
いわゆるインフラとしての下水道設備、道路網、鉄道網、公衆衛生システム、電力網、郵便事業などには「公共投資」が原則ではあったが、その施設の水準を維持し、BLIやウェルビーングの状態を高めるには、「市場原理」に基づく企業による商品の提供が前提になる。すなわち、「市場原理」と「公共投資」は民主主義のもとでは「対立」ではなく、むしろ経済と政治間では「併用」されてきたと考えられる。