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200年もの間続いてきた祭り
誇りに思い尊敬を持って

200年もの間続いてきた祭り

朝から止まることなく続いた「地車祭り」も全8基の練り回しを終え、皆が待ち焦がれた4年ぶりの開催は、拍手喝采の中で無事終了を迎えました。「やっと元に戻った。天気も良くて神様も喜んではるかなと」そう答えてくれたのは、ゆづるは神社の宮司さん。お祭りは、形態は少しずつ変わっているものの200年近く続いているのだそうです。

ゆづるは神社では、地域の氏子が集まりこうやって神様の前で祭りを行い続けてきた歴史があります。ですが実は、コロナ以前にも20年ほど運行していなかった時があるのだと宮司さんは言います。戦争でだんじりが焼けるなどもあって衰退していた時期もあった中、なんとか耐え凌ぎ、昭和50年代には3基、4基と復活していき他の地区と刺激し合いながら年々盛り上がって、今では東灘で32基までに。

民衆による民衆のための「だんじり」、氏神さまに捧げる感謝が輝かせる命
(画像=『たびこふれ』より引用)

阪神淡路大震災の後に初めて共同運行をしたというだんじり。それまではお宮ごとにバラバラで動いていたそうです。今がだんじりの数も多くて盛んになっている時期ということですよ、そんな盛り上がっている姿を見られることに感謝ですね。

「3年もやらないとどうかなと思っていたけど、事故もなくやってくれているのであと半日、最後小屋に入れるまでは気を緩めず頑張って欲しい」と、宮司さんは祈りを持って見守ります。

民衆による民衆のための「だんじり」、氏神さまに捧げる感謝が輝かせる命
(画像=『たびこふれ』より引用)

誇りに思い尊敬を持って

この後、各地区のだんじり小屋に納めるまでそれぞれ夜8時頃まで街を引っ張り歩くのだと聞いて、地車祭での最後を飾った「弓場地区」のだんじりについていく事にしました。先に神社を出て大きな道路沿いまで歩いていくと、すでに場所取りをしている人が。皆さんそれぞれにいい場所を熟知しているようで、手にはカメラを持ってだんじりの登場を待ちわびている様子。

民衆による民衆のための「だんじり」、氏神さまに捧げる感謝が輝かせる命
(画像=『たびこふれ』より引用)

コンビニや信号機、坂道の道路といった日常風景の中に、だんじりが突如姿を現しました。そんな一種の違和感が面白く、また今日が特別な日なのだということを物語るかのように、太鼓と鐘が辺りに鳴り響いている様子にワクワクします。だんじりの屋根の上では、扇を持って舞う若者ふたりの姿がありました。

東灘一帯で弓場だけが、扇を使った舞をしているのだそうです。70年前ぐらいから始まり伝統として続いているこの舞は、日本舞踊を神社に奉納しようという所から始まりました。女形のていで作られたという舞は柔らかな動きで美しく、ついつい見入ってしまいます。舞手さんは今年で9年目ということで若いのにベテランさん、屋根の上をいともたやすく動きまわります。

民衆による民衆のための「だんじり」、氏神さまに捧げる感謝が輝かせる命
(画像=『たびこふれ』より引用)

たまにヒョイと飛び上がる姿を見ると、どうやら彼らは命綱もなく屋根の上にいるようです。恐れる様子もなく堂々としている姿から、長年の経験があるのと同時に、これは信頼の上に成り立っているのだとしみじみ思わされました。

上で舞っていて怖くないですか?と後で聞くと「もちろん怖いですよ、今日は特に出番が最後で地面がボコボコ、掘り返されてるから余計に。正直ずっと足がプルプルしてました。だけど一番気持ちいいとこだから、怖さよりも勝ります。皆んなが押してくれてるし、自分は乗せてもらってる側やから」と、笑顔で返事がかえってきました。

御影の中では、30年で一番古いという弓場のだんじり。その上で舞えることを誇りに思っているのだと言います。きっとその気持ちはだんじりに関わっている全ての皆さんの共通した想いなのでしょうね、どこか尊敬が感じ取れるような彼らの動きが見てとれます。

民衆による民衆のための「だんじり」、氏神さまに捧げる感謝が輝かせる命
(画像=『たびこふれ』より引用)