「スカイライン伝説」と、「ポルシェとの因縁」の始まり
レースそのものはスタートしてみれば904が快調に飛ばしに飛ばし、スカイラインGTを全く寄せ付けません。
それも当然、現在で例えればSUPER GTのGT500クラスレーサーへ、草レース向けチューンの市販スポーツセダンが挑むようなものですから、ハナから勝負になるわけがないのですが、それでも予選のように904がクラッシュする可能性はあります。
そのため式場選手も焦らずドライブ、まだまだ素人のプライベーターも多い時代でしたから、危なっかしい周回遅れを抜くのにも慎重でしたが、そこへ追いついたのがプリンスの生沢 徹が駆るスカイラインGT。
プライベートではクルマ好き仲間だった両者は事前に「生沢選手が追いついたら一周だけ前を走らせる」と話していたそうで、約束通りトップに立った生沢選手のスカイラインGTが、そのままポルシェを引き連れバックストレートに帰ってきたので、さあ大変。
海外の最新型スポーツカー、それもクルマ好きなら名前を聞いただけで震えるようなポルシェをスカイラインが見事に抜き去り、トップに立っている!…と思い込んだ観客でスタンドは沸きますが、その後式場選手のポルシェ904はスカイラインGTをあっさりパス。
満足した生沢選手に代わり、砂子 義一選手(「砂子塾長」こと砂子 智彦選手の父)のスカイラインGTが追いかけても追いつくはずもなく、レースは順当に式場ポルシェが優勝しました。
これでプリンスは再び敗者として惨めな想いを…せず、翌日の新聞で「泣くなスカイライン、鈴鹿の華」と、その健闘を称えるとともに、スカイラインGT、略してスカGは「1周だけとはいえ、あのポルシェを抜いたクルマ」として、一躍ヒーローになったのです。
その勢いでスカイラインGT-Rが生まれ、R35からGT-Rが独立した今もなお、「スカG伝説」は続いています。
ポルシェもBNR32スカイラインGT-Rは944ターボをベンチマークにしたと言われたり、スカイラインにとって永遠のライバルのように扱われ、2010年代に北米でR35GT-Rの価格がポルシェ911ターボを抜くと、ポルシェが911ターボを値上げしたこともありました。
1964年のあの日に始まった「対決」は、実はまだ続いているのかもしれません。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
文・兵藤 忠彦/提供元・MOBY
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