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「スカイライン」というクルマの運命を決めた、第2回日本GP
第2回日本GPで勝利を厳命されたプリンスワークス
「スカイライン」というクルマの運命を決めた、第2回日本GP
13代目V35となった今でもガマン強く販売され続けており、昔ガタキの日産ファンにとっては数少ない希望のひとつ、「スカイラインGT」。
GT-Rばかりがもてはやされるものの、プリンス時代の2代目から今まで、国産スポーツの中で存在感を放ち続けてきた老舗ブランドであり、プリンスから引き継いだ日産も長年のファンを思えばおろそかにはできない車種です。
そうなった理由は今から59年前の第2回日本グランプリで、歴史に残る大レースを繰り広げたからで、日産自身もコトあるたびに「スカイライン伝説」として持ち上げてきましたが、そもそもどんなレースだったのでしょうか?
第2回日本GPで勝利を厳命されたプリンスワークス
1963年に鈴鹿で第1回が開催され、試行錯誤ながらも大なり小なりメーカーの後押しを受けた市販車ベースのレース車が優勝、広告で誇らしげに優勝報告を掲載し、メーカーのイメージアップや販売台数アップに大きな影響を与えた、初期の「日本グランプリ」。
勝利の美酒を味わったのはトヨタ(クラウン、コロナ、パブリカ)、日産(フェアレディ1500)、日野(コンテッサ)、スズキ(フロンテ)でしたが、一方で負けたチームもあったわけで、特に当時の人気車種や、期待の高かったメーカーは大変でした。
つまりプリンス(グロリア)と富士重工(スバル360)で、奇しくも旧中島飛行機系の血を引く両社では会社の上層部はカンカンですし、ユーザーからは抗議の電話が殺到、特にプリンスは事実上のオーナーであるブリジストンの石橋 正二郎 氏が大激怒!
来年こそは勝たねばならぬ…と誓うわけですが、1963年という年はプリンスにとってちょっと間の悪い年でした。
最高級セダンのグロリアは、モデルチェンジしたばかりの2代目初期型がまだ古い1.9リッターエンジンのままでしたし、スカイラインに至っては9月に2代目へとモデルチェンジですから、5月の日本GPには間に合っていません。
仕方なく旧型エンジンのグロリアやデザインはいいものの中身は古臭いスカイライン・スポーツなどで参戦していますから、たとえ他メーカーと同様にメーカーチューンをしたところで、勝てるわけもなし。
逆に言えば、翌1964年にはグロリア・スーパー6や新型スカイラインといった最新モデルで雪辱を晴らすことなど、造作もなかったわけです。