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日本初のエボリューションモデル、「スカイラインGT」
ポルシェ904の真実
日本初のエボリューションモデル、「スカイラインGT」
実際、ツーリングカーの各クラスでは、最新型のスカイライン1500がT-Vクラス(1301〜1600cc)に出場し、モデル末期のトヨペット・コロナ(2代目)に圧勝。
グロリア スーパー6はT-VIクラス(1601~2000cc)で前年の覇者クラウン(2代目)に猛追されるも、2リッター直6SOHCエンジンG7のパワーや、多数エントリーしたワークスチームの連携プレイもあって、ここでも優勝!
その他はプリンスで販売しているクルマがなかったので、それぞれスバル(前年スズキに惨敗した雪辱を果たした)、トヨタ、三菱、日産が各クラスごとに勝利を分け合いましたが、プリンスは他にもう1クラス挑戦します。
それが前年はB-IIクラス(1301〜2500cc)で日産 フェアレディが勝利したスポーツカー部門、GT-IIクラス(1000〜2000cc)。
ただし、当時のプリンスは高性能メーカーチューンドをスポーツカー部門にエントリーさせたくとも、社内で検討されていた大衆車や、それをベースとしたスポーツカーはいずれも販売計画が凍結されており、スカイラインスポーツの高性能化も断念。
そうなると1500cc級にダウンサイジングしたスカイラインへ、グロリア・スーパー6用のG7を搭載するのが手っ取り早い…しかし直4用のエンジンルームに直6は入らない…ならば伸ばせばいいじゃない?!
というわけで、フロント部分を無理やり延長、前年はいすゞ ベレルで参戦したレーサー兼ブローカーのドン・ニコルズが売り込んできたウェーバー・キャブレターを3連装してさらにチューニング、105馬力から150馬力にパワーアップしたのが「スカイラインGT」です。
小さな車体に大排気量のエンジンを詰め込む…という手法は、後にトヨタもセリカXXで行っていますが、レースに勝つためとしては日本初にしておそらく唯一で、スカイラインGTは日本初の「エボリューションモデル」だったと言えるでしょう。
何しろ無理やり作ったのでベース車のバランスは崩れ、ホイールベースが長くてフロントがやたら重いので止まらず曲がらず…レースではドリフトやテールスライドを駆使する曲芸じみた走りを要したそうですが、直線ならパワフルで速いのは確かでした。
それをとにかく100台作ってレース参加に必要な台数を満たし、後に「スカイライン2000GT」(3連キャブのGT-Bと、1キャブのGT-A)として量産モデルも販売しています。
ポルシェ904の真実
B-IIクラスに出場したスカイラインGTは7台、前年の覇者、日産 フェアレディは14台、その他いすゞのベレット1600や、プライベーターによる外国製スポーツカーが集って決勝には30台が出走しますが、レース直前になってプリンスワークスに耳を疑う情報が!
なんと、ポルシェの本格ミッドシップGTスポーツ…というより公道も走行可能とはいえレーシングカーそのものなポルシェ904「カレラGTS」が参戦、ドライバーはトヨタワークスの式場 壮吉というではありませんか。
あまりにドンピシャな組み合わせだったためか、「トヨタがプリンスの全勝を阻止すべく、ポルシェを買って式場に預けた」なんて陰謀論めいた話が現在まで伝わっていますが、それはあくまで外野の勝手な想像。
そもそも式場選手は今で言う「セレブ」の家柄で、日本におけるポルシェオーナーズクラブの創立メンバーの1人でしたし、第1回日本GPのため来日したポルシェワークスのハンシュタイン監督に頼み、翌年のため新型スポーツカー(後の904)にツバをつけていました。
それでアメリカ向け3台のうち1台が日本に行き先変更、式場選手の元へ渡ったのが真相で、当時のセレブとしては「内容を考えれば安い買い物」だったと言われています。
つまり、プリンスがスカイラインGTでどうこうという以前から、プライベーターでポルシェ904のステアリングを握ると決まっており、スポンサーもトヨタではなくパンナム。
とはいえ、プリンスにとっては何とも間の悪い話で、予選で904がクラッシュした時に、プリンスのピットで歓声が上がったのも無理からぬ話です。
どうにか名古屋の藤井ガレージで修理を終えた904が、主催者がスタート時間まで送らせて待っている鈴鹿サーキットまで白バイの先導で滑り込んだのは出来すぎでしたが、ともかくここから「スカイライン伝説」と「ポルシェとの因縁」が始まりました。