Ⅲ領域の縮小
もう一つ縮んでいるものがある。それは核となるべきⅢ領域である。
そのきっかけはリーマンショックであり、縮小を端的に示す現象はデフレーションだ。名目GDPが縮小するのはかなり重大だ。名目という枕詞に惑わされてしまうが、資本主義は名目で動かされている。100万円より1,000万円の方が、さらに1億円の方がよい。時点がA、B、Cと違い、物価水準がそれぞれ1、10、100だから同じ、ということにはならないのが資本主義なのである。
発展途上国を含めれば、端的には中国とインドを含めれば世界のⅢ領域は縮小していないという反論には答えを留保しておこう。日本だけをみればⅢの縮小は明らかである。大企業の弱体化とそれに伴う金融機関の衰弱。活きのいい企業の海外流出など、そして地方経済の現状をすべて合算すれば、それは明らかである。
問題はここでも縮小の方向であるが、これは中心部に向かって縮んでいる。これ自体が核の縮小だから資本主義にとっては大問題なのである。人権無視が目に余ろうとも、環境汚染が深刻であろうとも、政治的には独裁が危険な様相にあろうとも、Ⅲを拡大させている資本主義として中国をこぞって大事にしなければならないのである。
以上、述べたことは図-3に示したようにⅡ領域の意図せざる拡大である。
このⅡ領域の意図せざる、かつ急速な拡大が、未来の構図を考える上ではかなり重要な変化をもたらす可能性がある。
それは中小企業の位置取りの変化である。
中小企業B群既に述べたように中小企業は二群に分けられる。
成長率が高くいくつかは大企業となり東京へ、さらに世界をめざす一群。そして地元に密着し近親者が参加して家業的に経営されている他の群。前者と後者を比べれば、数では圧倒的に後者が多い。
仮に前者をA群、後者をB群とすれば(A、Bは優劣を意味しない)、A群はⅢ領域の中心部に向かうベクトルを持ち、B群はⅡ領域に極めて近いⅢ領域の外側に淵にとどまっている存在である。具体的な存在をイメージすれば、それは日本の各地方にある中小商店や家族経営の零細企業がそれである。日本の企業の99.7%は中小企業であり、そのほとんどが大企業には成長せずに、後者に属する。
つまり、Ⅱ領域が拡大、というよりⅢ領域の周辺部が内に向かって後退するので、ここに位置取りをしていた中小企業のB群がⅡ領域に取り残される。もともとⅡ領域の各組織は生業に近い性格を持っているから、この新しいメンバーは左程の違和感なく受け入れられる。地方創生の運動の中で、NPOなどのⅡ領域の組織と小企業・商店などが連携する事例が多くみられるようになった。
B群は、個々にみると小規模経営だけに浮沈が激しいが、全体としてみると常に人々の“なりわい”として存在している。
未来社会の構想を考えるとき、この安定性は魅力的である。持続性と言い変えてもよい。
また、小企業には、それなりの革新性があることが多くの研究で認められている。人々レベルでのイノベーションである。旧社会主義国が生産の主体を大規模な国有企業に移し、そこに官僚制がおおいかぶさり、革新はことごとく停止した。これは20世紀の教訓である。未来社会の革新的精神をになう主体とのひとつとしてB群に期待する。
女性管理職小企業B群に注目するもうひとつの状況がある、女性の管理職比率が高いのである。女性の進出については、“均等法”までつくったが、大企業レベルでは進捗していない。つい最近、社外取締役について「女性30%」が政府から主張され、大方の企業は頭を抱えている。
大企業より中小企業の方が女性管理職比率は高い。これは脇坂明の2017年の研究で示されている注6)。
【女性管理職割合】
・従業員5,000人以上 部長:2.8% 課長:6.7% 係長:12.8%
・従業員10~29人 部長:11.2% 課長:17.4% 係長:21.8%
差は歴然である。管理職比率は勤務年数とほぼ同じだろうから、女性は中小企業で定着しているのである。
地方創生未来社会を考えるとき、必ずこうなっていなければならないという必須項目がいくつかある。女性の進出もそのひとつであるが、地方創生もそうである。香港やニューヨークのマンハッタンが人間の理想郷ではないことは確かだ。
地方創生については別に書いたが注7)、そこで主張したのは小さな組織のヨコの連携である。
小さな自治体、小企業B群、NPO、小さな人々の集合である財団・社団、そして協同組合(大きくみえても、それは人々の小集団の集合である)。これらの組織がゆるい連合体をつくれば、それは受け皿になる可能性がある。
(次回につづく)
■
注1)6月16日に、「経済財政運営と改革の基本方針2023」いわゆる骨太の方針が閣議決定され公表された。岸田政権の目玉として発表された「新しい資本主義」がようやく政策になった。私は、構想発表時点で問題点を指摘している(2022年7月7日付アゴラ、「「新しい資本主義」批判」)。
注2)「現在進行中の最終的危機を経て資本主義に代わるのは、社会主義やその他の明確な社会秩序ではなく、長い空白期間であろう」(W.シュトレーク、『資本主義はどう終わるのか』、p.24、村澤真保呂、信友建志訳、河出書房新社、2017年。なお、原書の出版は2016年)
注3)廣田尚久、『共存資本主義』、信山社、2021年。しかし、せっかくの名称は浸透しなかったので、2022年、廣田は要約本を出版した『ポスト資本主義としての共存主義』(信山社、2022年)。もう一人。それは「アゴラ」の常連論者である金子勇だ。『社会資本主義』(ミネルヴァ書房、2023年)。金子は書名に「資本主義」をつけた。しかし、金子の考える未来社会が資本主義経済だと主張しているのではなさそうだ。資本主義の終焉を充分に意識して「その先にある社会システム」を全体的に、狭い経済領域を超えてそう呼んだのだろう。金子の400ページを超える大著は、政府の掲げる「新しい資本主義」よりはるかに前進しているし、数ある「脱成長論」の先をいっている。
イタリア人のジャコモ・コルネオも前進に貢献しようとしている一人である。「資本主義に代わる優れた経済システムは果たして存在するのか?もし存在するとすれば、それはどのようなものだろうか?」(ジャコモ・コルネオ、『よりよき世界へ』、p.90、水野忠尚、隠岐-須賀麻衣、隠岐理貴、須賀晃一共訳、岩波書店、2018年。原書のタイトルは『Bessere Welt』、よりよき世界は直訳である。副題は「資本主義に代わりうる経済システムをめぐる旅」となっている)
注4)「ソーシャル・キャピタルの豊かさを生かした地域活性化」、滋賀大学・内閣府経済社会総合研究所共同研究、『地域活動のメカニズムと活性化に関する研究会報告書』、No.75、2016年
注5)藤井辰紀、「NPOパフォーマンスと経営戦略」、p.56、『日本政策金融公庫論集』、第17号、2012年。内閣府もNPOの調査をしている。ホームページで見られるが、最新のものは2021年である。
注6)脇坂明、「中小企業では女性活躍は難しいか」、『商工金融』、2017年
注7)濱田康行・金子勇、「地方創生論にみる「まち、ひと、しごと」」、『經濟學研究』(北海道大学)、第67巻2号、2017年
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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