こんにちは。Kayo Temelです。

20世紀初頭のオランダでは、「アムステルダム派」と呼ばれる建築家のグループが活躍しました。当時、オランダの植民地だったインドネシアの芸術や文化が、アムステルダム派に与えた影響を紹介する展覧会が「ヘット・シップ博物館」で開催されています。

目次
異文化からのインスピレーション
労働者のための宮殿

異文化からのインスピレーション

思いがけない文化融合『インドネシアとアムステルダム派』展
(画像=<アムステルダム派の建築家ピート・クラマーが1924年に設計したデン・ハーグの百貨店/©Ben Bender>,『たびこふれ』より 引用)

19世紀末から20世紀初頭の西洋美術では、「原始的」なものや「非西洋的」なものにインスピレーションを得た、プリミティヴィズムやジャポニズムといった美学が生まれました。ゴーギャンはタヒチの情景を描き、ゴッホは日本の浮世絵を取り入れ、ピカソは黒人彫刻に倣ってモデルをデフォルメしました。

建築においても、移住や留学で見識を広めた建築家たちが、複数の文化的要素を組み合わせた折衷主義の作品を手がけるようになりました。オランダでは1910年から1930年頃にかけて、アールヌーヴォーと表現主義を独自に発展させた、「アムステルダム派」が誕生しています。

アムステルダム派の特徴は、オランダの伝統的な素材であるレンガを用いた、伸びやかな曲面の表現です。ミシェル・デ・クレルクやピート・クラマーを中心とする建築家たちが、生活と芸術の統合を目指し、主に労働者のための集合住宅を設計しました。

労働者のための宮殿

思いがけない文化融合『インドネシアとアムステルダム派』展
(画像=『たびこふれ』より 引用)

デ・クレルクの作品で最も有名なのは、1913年から1920年にかけてアムステルダムに建設された、労働者のための集合住宅です。アムステルダム中央駅から西に2kmほどの、緑豊かなスパールンダマープラントスーン広場を囲むようにして、3ブロックの集合住宅が並んでいます(上写真)。

当時のアムステルダムは、産業革命以降に労働者が殺到し、深刻な住宅不足に直面していました。多くの労働者が住み着いたスラム街で病気が蔓延したことから、オランダは世界に先駆けて1902年に住宅法を施行し、政府の補助金を受けた自治体や住宅建設協会が、良質な集合住宅の建設を開始しました。

思いがけない文化融合『インドネシアとアムステルダム派』展
(画像=『たびこふれ』より 引用)

労働者の居住環境を改善するとともに、彼らの自尊心を向上させることも重要だと考えたデ・クレルクは、単なる集合住宅ではなく、芸術的で美しい「労働者のための宮殿」をデザインしました。スパールンダマープラントスーン広場に面した3ブロックの集合住宅はいずれも独創的で、随所に彫刻や浮彫りもほどこされました。

最後に建設された集合住宅は、大海原を進むような外観から「ヘット・シップ(船)」の愛称がつき、現在はその一部が「ヘット・シップ博物館」として公開されています(上写真)。アムステルダム派やオランダの公共住宅建設の歴史、かつてここで暮らした労働者の生活などを学べます。