ノルマンディー地方が最も美しい林檎の花咲く頃、サン・ヴィゴール礼拝堂(Chapelle de Saint Vigor)〜通称「林檎の礼拝堂」を訪ねました。
田園風景の中に建つ小さな礼拝堂は、かつて廃墟と化していたものを、一人の日本人芸術家によって再生されたもの。田窪恭治氏は、長年現地に住み込んで、田園風景に溶け込む古い礼拝堂の姿を尊重しつつ、モダンで独創的な美しい芸術作品を完成されました。
地元のシンボルである林檎の木が壁画に大きく描かれた「林檎の礼拝堂」は、フランス人にも日本人にも愛されている、日仏友好の証なのです。
礼拝堂の歴史
礼拝堂は、緑豊かなサン・マルタン・ド・ミュー村の外れに位置しています。
13世紀末には既にこの場所にあり、15世紀に貴族ギョーム・ド・ヴァノンブラによって修復増築され現在の形となりました。一族の統治は1737年まで続き、礼拝堂の裏手には現在も ヴァノンブラ家の墓石が幾つか残されています。
礼拝堂は長い年月を経て放棄され廃墟となり、1983年に閉鎖された時には、修復費用が賄えないため危険で取壊しもやむない状態でした。 そして1987年、日本人アーティスト田窪恭治氏の訪問によって、類まれな運命をたどることになるのです。
再生の経緯
礼拝堂を初訪問した時の田窪氏は、芸術作品として再構築できる物件を探していました。小さな礼拝堂に強く惹かれ、田窪氏は再生を決意します。それから11年の年月を費やして、地元の行政や村民たちと対話を重ね、修復プロジェクトの寄付金を募り、本気を示すためにも一家で近くの街ファレーズに移住し、礼拝堂の修復再生に取り組まれたのです。
礼拝堂工事着手は、1992年。まず、骨組みが修復され、屋根、床、壁、そして壁画を描いて、1999年秋に林檎の礼拝堂は完成を遂げました。数々の困難を乗り越え、志を共にする地元民との友好を深めた年月です。
今回案内人を務めて下さったジャン=ピエールさんも、田窪氏一家と家族ぐるみの付き合いをされ、再生までの年月を共に過ごされた方で、その友情は現在も続いているそうです。礼拝堂内祭壇の裏側が資料展示室となっていて、写真などで再生までの過程を知ることができます。当時の貴重なお話を伺えただけでなく、日本人の私たちの訪問をとても歓迎してくださったのも、嬉しかったです。