ナイリーンを養育しているという男が現れる

 まったくもって雲をつかむような謎の「ナイリーン・マーシャル失踪事件」だったが、2年後になって奇妙な動きが見られた。

“蒸発”から2年後の1985年11月27日、非営利の「全米行方不明児童センター」が、ナイリーンを誘拐したと主張する匿名の男性から電話を受けた。続いて2カ月後、ウィスコンシン州マディソンの消印が押された手紙もまた同センターに送られてきたのだ。

 手紙の内容は「ケイという名前の少女」を誘拐したことを自慢する不気味なものであった。手紙によれば、男はモンタナ州エルクホーンで車を走らせていたところ、道路脇で泣いていた小さな女の子「ケイ」を見つけて車に乗せたという。

 男は独身の投資家で経済的余裕があり普段は家にいることから、ケイ(ナイリーン)を家に同居させることにしたのだ。男はケイに何不自由ない暮らしを与え、学校には通わせなかったものの、年相応の勉学もさせていたという。

 男はケイを旅行に付き添わせ、全米各地やプエルトリコやカナダ、イギリスにも連れて行き、ケイも旅行を実に楽しんでいるという。しかしケイのパスポートはどうやって入手したかについては言及していない。

 育ててくれるこの男をケイも信頼しているようで、旅行を楽しむ優雅な生活を送っているということになるが、この男の本心はどこにあるのか。

 男はケイを“愛している”と記している。そして何とも変態的なことに、朝、ケイにスプーン一杯の自分の精液を与えて飲ませるのが日課になっていると記しているのだ。

 この男の話ははたして本当のことなのか。この男からのものらしき手紙はこの後も数通続き、同じ男と思しき電話も警察やマーシャル家に数件かかってきたという。電話の発信源はマディソン市周辺の電話ボックスからであることが突き止められたが、監視カメラなどがほとんどない時代だったこともあり、電話をかけた人物を特定することはできなかった。

 また別の男はナイリーンを殺したと主張する電話を警察にかけてきたという。男は殺害後にナイリーンの遺体を遺棄したキャンプ地近くの岩が掘削された場所を示したというが、捜査班は現地で何も見つけられなかった。そしてこの男も特定することができず、事件は再び謎を残したまま人々の話題に上らなくなっていった。