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スズキ以外にも意外なライバル、マツダ キャロル登場!
勝敗の行方は二輪出身、大久保 力の「秘策」に託された!
スズキ以外にも意外なライバル、マツダ キャロル登場!
こうしてスバルワークスが始動、1964年の第2回グランプリに向けてスバル360のフルチューンに挑み、エンジンは信頼性の38馬力、バランスの取れた40馬力、ハイリスク・ハイリターン狙いの42馬力と3つの仕様を作って、40馬力と42馬力が主力となります。
他にもアレコレと手を加え、いかにスズキが頑張っても、フロンテより100kg以上軽いスバルが簡単に負けることはない、否、今年こそ勝つ!と意気込んでいたところ、思いもよらぬところから伏兵が現れました。
それがマツダ キャロルで、フロンテと同じくらい重いはずなのに、予選では40馬力オーバーのスバルに肉薄するタイム、つまり直4OHV・水冷4ストロークエンジンはスバルの直2空冷2ストより馬力で勝るのは明らか。
しかもエースドライバーは2輪のレースで勇名を轟かせ、後にマツダロータリー軍団の中核としてスカイラインGT-Rの撃破に大きな役割を果たす片山 義美が出てきて、スバル vs スズキにマツダも加わる三つ巴の大バトルが、始まろうとしていました。
勝敗の行方は二輪出身、大久保 力の「秘策」に託された!
ここでスバルワークスが小関 典幸率いる社員ドライバーチームだけなら、スズキの望月 修、マツダの片山 義実の追い上げに不測の自体が生じていたかもしれません。
しかしスバルにも外部から契約した二輪レース出身のドライバー、大久保 力がいたのが幸いで、これが最終的な勝敗を決めました。
すなわち、エンジンなどそれまでのチューンだけでなく、一発の速さを狙って規則に違反しない範囲でアレコレと手を加えた「予選スペシャル仕様」でポールポジションを獲得。
さらに、「副変速機付き3速MTで、実質3×2の6速MTだった」と言われるスバル360のレース車ですが、40馬力仕様の大久保車だけは変速時の空走を嫌い、超ハイギアード仕様の4速MTを組んだのです。
これでスタートにさえ成功すれば、他車がシフトアップしている間も加速を続ける大久保車はトップで1コーナーへ飛び込み、後は低回転域を使うハメにならないよう、減速せず舞うように走れば勝つ!(はずだ!)
もちろん堅実ハイパワーな42馬力仕様の小関車がトップに立つ事もありえるので、そこは先行された方が3位以下をブロックして先行車にプレッシャーを与えない段取り。
さらにスバルの7台中4台は1度ピットインして、あえての周回遅れからフロンテやキャロルをブロックするという、もうなりふり構わぬチーム戦略です(※)。
(※そんなの卑怯じゃないかというなかれ、当時のレースじゃ当たり前の話)
実際にスタートすると大久保車が先行、小関車がスズキ・マツダ両ワークスを抑える役目を果たし、スバル360は大久保車、小関車が見事に1-2フィニッシュ!
前年優勝の望月フロンテを3位、脅威の伏兵、片山キャロルを4位に従え、見事に第1回グランプリの雪辱を果たしました。