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怒涛の16戦15勝でブッチギリのWタイトル!
全勝に至らなかった原因への、思わぬ因縁
怒涛の16戦15勝でブッチギリのWタイトル!

そうして迎えた1988年シーズン、マクラーレン ホンダは無敵の快進撃でセナかプロストいずれかがほぼ必ず1位に、場合によっては1-2フィニッシュを決め16戦15勝。
2位のフェラーリを全く寄せ付けない勢いで、ブッチギリのコンストラクターズタイトル、セナのドライバーズタイトルを決めます(※)。
(※セカンドカスタマーのロータスはこの頃に資金不足による開発の停滞、チーム体制の混乱が続き名手ピケをもってしても全く振るわず、この年限りでホンダエンジンを失う。)
しかもそれがフジテレビで全戦地上波放送され、既に第11戦ベルギーGPでコンストラクターズを決め、王者として乗り込んだ日本GPでは日本のファンの目前でセナのドライバーズタイトルが決まったのですから、この年のF1はほぼマクラーレン ホンダが主役でした。
CMでは女性ファンがうっとりとした目で「セナ様…」とつぶやき、バブルの勢いで世界一の国になろうとしているような錯覚をしていたあの頃の日本にとって、1988年のホンダF1は日本という国の絶頂期を示すエピソードのひとつだったと言えます。
全勝に至らなかった原因への、思わぬ因縁

しかし読者の皆さんは「16戦15勝はいいけど、残り1勝はどうなったの?」と思うことでしょう。
それはこの年の開催(9月11日)直前、8月14日に90歳でこの世を去ったエンツォ・フェラーリに勝利を捧げようと、フェラーリF1チームが燃えていたイタリアGPでした。
この時のマクラーレン ホンダも、フェラーリとティフォシ(イタリアの熱狂的なフェラーリF1ファン)の事情はさておき絶好調で、ポールポジションはセナ-プロストのフロントロー独占でスタート。
しかしスタート直後から不調だったプロスト車のエンジンはついに35周で音を上げ、燃費の悪化に苦しみつつも終盤までトップを走っていたセナの目前で、周回遅れのマシンがブレーキングの失敗でバランスを崩し接触!
これでセナがリタイアとなり、空前絶後の全勝を逃したマクラーレン ホンダですが、周回遅れのマシンは前年限りでホンダに三下り半を叩きつけられた、ウィリアムズのFW12。
しかもドライバーのジャン=ルイ・シュレッサーはこともあろうに1968年、魔の空冷F1マシン、ホンダRA302唯一の実戦でクラッシュ、炎上事故でこの世を去ったジョー・シュレッサーの甥と来れば、いかに偶然の重なりでも、何かの因縁か神の采配を感じずにはおれません(※)。
(※そしてレースはティフォシの願い通り、フェラーリのものとなった)
1988年のマクラーレン ホンダにとっては、ちょっとしたベストへのシミ─完璧ではなかった栄光と興味深いエピソード─を残したイタリアGPでした。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
文・MOBY編集部/提供元・MOBY
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