銘柄が多すぎる。もはや、個人には、個別の吟味・判定は無理である。機関投資家から見ると、保有する資金量が大きすぎてまとめ買いしか方法がない。たとえば、GPIFの資金量は100兆円を超えているから、個別の選定は意味がない。

要するに、主要国の株式市場が巨大化し、しかも買い手にすれば、それらがすべて選択肢になる状況だ。世界中の金融緩和のため買い手には巨大な資金が蓄積し、これを“まとめ買い”で注入するから、市場はさらに膨張する。その膨張している株式市場が実物経済を支えるのである(保有株式の含み益の増加 → 良好な決算 → 株価の上昇)。

現在の株価を支えているのは金利である。金利は景気が良くなれば、それに伴って物価が上がれば、上昇するはずだ。だから、株高を維持するためには不況が適当に続いて中央銀行の緩和姿勢が継続するのがよい、という倒錯が現れる。「適度の不況」という希望の表明は世紀の変わり目あたりからずっと続いているから、それは倒錯ではなく“衰弱した資本主義”から生まれた現実なのかもしれない。

小括

株価の決定要因として金利の比重が高まる、このことは何を意味するのか。

それは株式の金融化、株式市場が金融市場に包み込まれることだ。そもそも、金融・融資は“貨幣の一次的手放し”によって利子を得ることである。これに対して株式を買う行為は、対象会社の経営に参加し、経営の結果としての利潤の分け前にあずかることだ。ここには、一時的という観念はなく、長期的に運命に参加するのである。

資本主義の発展とともに変化が生じた。ひとつは所有と経営の分離が進んだ。株主は所有の枠にとどまり経営は専門家にまかせる。これによって利潤は所有と経営の間で分割される。富の蓄積とともに所有は増大ずるが、資本を定義どおり操れる経営者は増えないから、やがて経営者の取り分は拡大し、所有の分け前は“利子”に量的に近づいていく。いわゆる所有者のレントナー化が進む。

もうひとつの変化、それは遊休貨幣の変質である。遊休貨幣とは本論の図の中に→(矢印)で示した運動をするが、その発生の源泉が少しずつ変化する。はじめのうちは、企業の運動から自動的に形成され、一時的に遊休して、再び企業の運動に吸収される。やがて、固定資本の増大とともに資本準備金が発生する。これは長期となるが、それへの分け前は利潤でなければならない。しかし、そう主張する部分は次の事情によって相対的に少なくなる。

遊休貨幣に新しい現代的なタイプが出現する。それが引退資本である。

それはもはや資本運動に参加しない。やめてしまった資本である。やめてしまう背景は主にふたつ、ひとつは文字通りの引退、もうひとつは競争戦での敗退だ。これに個人資本が加わる。典型的には、遺産の相続、中間以上のサラリーマンの退職金だ。

引退資本は、もはや闘う意思はなく、金利生活をめざす。

以上に加えて株式制度の整備が加わる。流通市場の整備である。これによって、株主としての存在は“永久性”から解放され、“一時的手放し”という金融との同質性が得られる。

もはや株を買うことは、金利を求めてどこかの銀行に預金するのとたいして変わらない。違うのは、預金が確定利付であるのに対して株式はそうではないということである。ここでは、得られるものがもはや利潤でないとしても、当該会社の収益に依存していることに変わりない。

底辺にある現象としては、株式市場に向う資金が大量になる割には、投資する機会は大きくならない。つまり投資する側の過剰である。これが金利化、金融化を進める。もちろん、有利な投資先探しは国内にとどまらずグローバルに展開するが、ちょうど、現在生存している人より、過去に生きていた人の総計の方が多いように、遊休貨幣>資本としての使用、ということになるのである。

(次回につづく)

注1)そもそも貨幣がいかにして発生したのか?これは神秘的な問である。交換過程の要請、贈与の延長と諸説があり、貨幣の本質についても“商品”であるのか、国家という権威の産物なのか等々だ。ここでは、貨幣はどこにあるのかといえば、それはまず実物経済にあるという前提で進むことにする。貨幣が天から降って来ないとすれば、人々の営みの結果なのである。

注2)中央銀行がいかに成立したかについては多くの文献がある。資本主義の母国イギリスの中央銀行はイングランド銀行だが、その歴史についての一冊を翻訳している。(『イングランド銀行の300年:マネー・パワー・影響』、リチャード・ロバーツ、デーヴィッド・カイナストン編、浜田康行他訳、東洋経済新報社、1996年)

注3)濱田康行・川島一郎、「NYダウ平均株価3万ドルの方程式」、『地域経済経営ネットワーク研究センター年報』(北海道大学)、第10号、2021年