自分がない日本人、同調圧力で周りを気にしすぎている

「日本人には、他人からの目線を気にして行動するため同調圧力が無意識に働いてしまう国民性があります。これだけ話すと、日本人は窮屈な人々に思えますが、悪い面ばかりではありません。たとえば、コロナ禍のマスク着用のように、法律で禁じられたり罰せられたりしなくても、国内ではきちんと着用する人が多かったといった事例があり、日本では公的にみっともないとされることは極力控えるようにする圧力が働きがちです。ゴミに関しても、日本全体で『ゴミは勝手に捨ててはいけない』という共通認識が生まれているからこそ、多くの人は公共の場を乱すまいという義務感でゴミをポイ捨てしないように努めているワケです。

 半面、他人からの目線が行き届かない状況ですと、隠れてポイ捨てするというのは珍しい話ではありません。特に同調圧力からゴミの管理をしていた人ならば、周囲の目線も気にならないので、結果的にポイ捨てをしてしまうでしょう。このように同調圧力は時と場所によってその力が強まったり、弱まったりするのです」(榎本氏)

「旅の恥は掻き捨て」という言葉があるように普段の自分を知る人が少ない環境、場所において、羽目を外してしまう日本人は少なくないという。

「『ハレとケ』という概念のように、日本人は日常から切り離された空間に身を置くと、途端にお祭りのような非日常を味わえるので、タガが外れてしまう人は多いです。人の目をずっと意識して生活しているなかで、突如それがなくなるワケですから、反動もあって何をやっても問題ないという認識が生まれてしまいます。そうではない人もいるのはもちろんですが、自分の中に規範や絶対的な価値観がない人が日本人には多いので、如何せん周りの動きに合わせがちです。そのため、周囲がゴミをポイ捨てしていれば、自分もつられてついポイ捨てしてしまう……なんてことは容易に想像できてしまいます。

 酔っ払いに関して日本社会は寛容であるのも、自分がない日本人ならではの性質といえます。『無礼講』という言葉があるように、日常場面と違って、飲み会では何をやっても許される雰囲気になりますし、砕けた態度や話し方になることで親しみやすくなるケースもあるでしょう。したがって、多少お酒で自分を見失っても、おおめに見るのが日本社会なんです。ちなみに自己の一貫性を重んじる欧米社会ではそんなことはご法度。他人の目線を気にする日本ならではの特徴といえるでしょう」(同)