いくつもの意味で使われる
近代経済学は最良の選択肢の存在を語るが、社会学ではいくつもの選択肢が見えるために、簡単にはそれを決定できない。
「社会関係資本」のように、いったん幅広いコンセプトの使用方法が容認されると、恵まれない地域での学校教育の失敗から経営者のパフォーマンスまで、周囲の人々や家族・親族の間の助け合いから開発計画の成功まで、あるいはロシアでの死亡率からアフリカ諸国の村々での収入の差までもが「社会関係資本」の研究に含まれるようになった。
さらに、民主主義のバイタリティから経済発展や統治まで、そして公衆衛生から青少年犯罪まで、同じく政治腐敗から競争力まで、ほんの少しであってもそこで「社会関係資本」を応用することに抵抗が見られなくなった。
その延長で、「歩きやすい街ほど『社会関係資本』が豊かになるという仮説は、日本のデータで検討した結果からは支持されなかった」(埴淵・中谷・近藤、2018:86)という報告さえもある。これはウォーカビリティの研究なのであるが、地理的地形的な条件が指標化に馴染まないために、この概念での一般化は難しいであろう。
パットナムの成功学史的にみるとパットナムの成功は、必然的に重要な位置を占める。なぜなら、彼のスタイルが現代の「社会関係資本」研究の大きな源流でもあるからで、同時にその議論の方法や慎重な論の運びが、この概念の応用範囲を拡大させたからである。
「社会関係資本」の識別は、個人的つながりや個人財産、それらの性質や使い道を優先することで可能になるし、結果次第で有効な意味と意義も見出せる。
キャピタルの前にソーシャルを付加する伝統に立脚し、経験的に支持される証拠を揃え、その実践的な潜在力を際立たせたパットナムは確かに成功した。具体的な指標には、社会参加や団体的参加などの関係性レベルのデータと、相互性の規範や信頼といった心理的要素が凝縮され組み合わされる。この前提で獲得された有益な情報が各方面でも威力を発揮するので、世界銀行やOECDでさえもこの概念の積極的な活用を行ってきた。
社会科学の概念が国際機関の興味を引くのは、社会指標や人間開発指標などわずかしかなかった歴史をみると、「社会関係資本」概念への期待の大きさが分かる(三隅、2013)。
新しい方向はどこにあるか今後これまで以上に各方面で積極的な「社会関係資本」概念を展開するには、何をどうすればよいのか。もとより実証的な研究レベルでこれらを行うことが、概念の有効性を評価する基準を入手する最短距離となる。
なぜなら、「社会関係資本」と被説明変数との因果関係を証明しようと努める実証的研究では、ますます多様な結果が生み出されているからである。例えばOECDが指摘しているように、「社会関係資本」と不平等の間の因果関係の意味を見つけるのが困難であったり、「社会関係資本」のマクロ経済的な効果への研究が、その研究が実施された国や機関によって非常に不規則な結果を生んでいたりする。それとは逆に、健康づくりにとって、その存在が有効であるという報告もある注5)。
もちろん異なった報告もある。一例としてあげると、東京23区とその周辺地域での女性を対象とした研究では、「社会関係資本」と主観的健康評価は認められず、「地理的=社会的文脈性が存在する」(中谷、2018:51)ことが指摘されている。換言すれば、これにはむしろ階層のもつ規定力が大きいことになる。
政策形成に直結しないしかし、いくら各分野における仮説が魅力的であっても、「社会関係資本」がもつ公共政策に関する独自の結果を引き出すのは困難なようである。なぜなら、たとえば少子化支援策が「社会関係資本」に直結するのではないからである。むしろ、ベクトルは逆向きであり、「社会関係資本」の存在が子育て支援策を有効に導きやすい。だから、まちづくり、コミュニティ依存、選択的ネットワークなどに依存しながら、少子化対策として子育て支援策が実施されてきた。
この子育て支援策には児童館を始めとするハードな建物づくり、行政による児童手当の支給、人的サービス面での支援などが混在するが、前回の社会的共通資本(social common capital)と整合することが多い(宇沢、2000)。だから両者をつないでみる試みが今後とも可能性に富むであろう。
団体参加率の高さと経済効果しかし、団体参加率の高さがどのような経済効果をもつのかは依然として見出されていない。市民間の団体参加量が多いと、経済効果はどうなるのか。周知の二分類団体カテゴリーを使うと、一つのカテゴリーには、緊張を緩和する文化的な性質をもつ団体が該当する。
この種の団体への参加は、経済効果にとって有効であるとするのがパットナム仮説に含まれている。したがって、この範疇には、もう一つの団体として認識されてきた組合、政党、職業、経済などの団体は削除される。
「社会関係資本」の癒し効果文化的な団体は、パーソンズの古典的なAGIL図式でいえば、Lとしての緊張処理を果たす機能を受け持っている。この視点からいえば、日々の経済性の追求から疲れ果てた個人を癒す働きがあるので、「明日のために今日も頑張った」企業従業者を再度仕事の場に送り出す効果がある。その意味で、団体参加が経済性とプラスの相関をすることはあるであろう。
疲れた従事者は、その癒しのためには別の意味で気を使わざるをえない政治などの団体への参加などよりも、粉末化された個人向けの娯楽を選好したがるからである注6)。
橋渡し(bridging)と結合(bonding)効果は健在ただしパットナムが、「社会関係資本」のもつ機能を分類した結果としての「橋渡し」と「結合」は、二種類の団体のいずれにも応用可能であろう注7)。
たとえばロータリーやライオンズなどの財界クラブのもつ「橋渡し」と「結合」は、経済的取引にも有効に機能する場合がある。小説の世界でも実際にも、銀座のクラブでの知り合い関係が、銀行融資への道を開くというようなことはあるかもしれない。もちろんゴルフ仲間、カラオケ仲間など非経済的な関連でも同じ機能をもちうる。
その意味での団体参加は、パットナムによる橋渡し機能と結合機能を有すると一般化できる。橋渡し(bridging)タイプのグループ内においての関係も、結合(bonding)グループでも、ともにキャピタルとしての効果はある。
これが「新しい資本主義」としての「社会資本主義」でどのように活かせるか。それには、3つ目の「文化資本」にも言及する必要がある。
2. 文化資本
ハビトゥスデュルケムによるanomieの社会学への応用と同じく、habitus(仏:アビトゥス、英:ハビトゥス)もまたブルデューにより学術用語として社会学に持ち込まれた。元来それは、健康または疾患を提示する外面形態を指す医療用語ないしは習慣を意味していた。
しかし、ブルデューは「客観的に分類可能な生成原理であると同時に、これらの慣習行動の分類システム(分割原理)」(傍点原文、ブルデュー、1979=2020:279)として使用した注8)。それ以降の社会学では、その用語が徐々に思考、行動、嗜好に関して社会化の過程で獲得されたパターンとして用いられるようになり、社会構造を維持・再生産する概念としても多用されるに至った。
とりわけこれを「文化資本」に見立てると、①蓄積が可能、②自身の評価や所有価値などの利益をもたらす、③親から子供へ相続できる、という性質を持つとされ、広義には「文化に関わる所有物」すなわち「資本」の範疇に含まれるようになった。
3つの「文化資本」形態要約的に言えば「文化資本」は
身体化された文化資本(家庭や学校教育を通して個人に蓄積された知識・教養・技能・趣味・感性) 客体化された文化資本(書物・絵画・道具・機械などの物質として所有可能な文化財) 制度化された文化資本(学校制度などで与えられた学歴・資格)
に分けられる(ブルデュー、前掲書:7 訳者まえがき)。
1.は身体に埋め込まれた状態(embodied state)であり、思考様式、話し方、身体の動きなどを表わし、2.の芸術作品、書籍、衣服の物理的所有なども該当するために、客観的な状態(objectified state)としても認識される。
身近な「文化資本」は、芸術(例:絵画、クラシック音楽、歌謡曲、作曲)やスポーツ(例:乗馬、ゴルフ、野球、スキー)などに関する知識や技能、理解できる感性、言語能力や学習に対する態度や意欲、学歴や資格などがある。
たとえば親の都合で、外国暮らしが長かった子どもは英語その他の外国語をマスターしやすい半面、日本語表現では不十分なことがあるが、前者を活かして外資系企業で活躍する人も多い。この場合では、外国経験という個人の「文化資本」と有力経済資本を持つ外資企業との「資本交換」の形態とみなされる事例となる。たとえば、遺伝も含めて語学力、運動能力、絵画、歌唱力、作曲などの高度な「文化資本」を持つ人は、それと民間企業の「経済資本」と交換できる。
古今東西、人間は生れ落ちた「定位家族」での親や兄弟からの影響で、この種の「文化資本」を社会化過程において徐々に身につける。そのため、「定位家族」が置かれた階層に合わせて、各人各様の「文化資本」を担うことになる。