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1. 「社会関係資本」
コミュニティと同じレベルの主要概念20世紀末以降「社会関係資本」(social capital)の概念は、社会学や政治学を超えた多方面の学術的文献のなかで飛躍的な進歩を遂げた注1)。
それはちょうど日本の1960年代からの「コミュニティ」の浸透力に勝るとも劣らない。しかも社会学だけではなく、隣接する政治学や経済学に及んだことも両概念はよく似ている。コミュニティ論でのマッキーバーの位置には、「社会関係資本」ではパットナムがいる。特に『孤独なボーリング』の業績によって、その刊行前と後では間違いなく学術的認識面でも政策面でも変化が大きい。
「社会関係資本」「社会関係資本」は個々の行為主体が独自に形成し、社会を形成する人間関係を軸としている。社会学の伝統では長らく社会関係(social relation)と表現されてきたが、社会の中に存在する行為主体の間にみられるネットワークや、それに基づく規範・信頼などを指す(パットナム、2000=2006)。しかも現代においては、傍観者となった個人を再度社会の中に位置付ける役割を果たすと積極的に位置づけられている注2)。
そこで21世紀の今日、そのような意味が込められた「社会関係資本」をどう活用すればいいか。誰もが合意する内容がそこにあるのか。共通の理解が不可能なほどに、概念の広がりを持ち、むしろ様々なバリエーションに分裂したのではないか。
キャピタルにソーシャルを加えた意味学説史的にいえば、ここでのソーシャルは「非経済的」な意味としてだけ使用されるのではなく、「社会関係資本」の存在により個人はさまざまな場面で助けられ、サービス支援を受けるという文脈が特に重視されている。
連載第1回で触れたように、元金(キャピタル)は元来利息(インタレスト)を内包して、それを個人に戻すから、ソーシャル・キャピタルとしての「社会関係資本」でも、信頼のおける関係者としてたとえば隣人や友人・知人からの支援(ヘルプ)が含まれている。それは、まさしく経済から社会、社会から経済への動線が、このコンセプトの柱であることを示すものである。どの分野のいかなる内容で使われても、「社会関係資本」はこの基本原則をわきまえておけば十分理解できる。
社会認識についての近代経済学的理解では、成員の合理的な行為を前提としており、市場もまたその種の人間であるホモ・エコノミクスがもつ論理で動くとされる。損することは避けるし、説明可能な一元的論理が覆い尽くす。そうでなければ数理方程式では表現できない注3)。
ホモ・ソシオロジクスではどうなるか一方社会学は、さまざまなテーマとして家族、地域社会、政治、逸脱行動など、言い換えれば経済社会のフィールドから除外された市場外の対象まで追究してきた。
理論社会学が明らかにしたように、社会システムを束ねるものは価値と規範である。そして特定の地位を占めた人間はそれにふさわしいと期待される役割行動を行うから、かりに個人的地位が変化して、あるいは時代が変わって規範そのものが変質すると、それまでの合理的な行為すらも否定されたりする注4)。