事実の隠蔽

Concealment of facts

事実を隠して存在しなかったことにする

<説明>

「事実の隠蔽」は論点となる事実自体を隠蔽してしまう究極の論点隠蔽です。人類は不都合な【事実 fact】を隠蔽して社会の記憶から消去する工作を繰り返してきました。歴史書にはその数多くの失敗例が記録されていますが、その成功例を見つけることはできません。成功すれば歴史に残らないからです。この事実の隠蔽にあたっては、様々なレベルの【権力 power】によるもみ消しが行われてきました。

電子媒体を通して情報が発信される近年の情報化社会では、ひとたび発信された情報がログとして残るために、公権力が事実を隠蔽することは困難となりました。しかしながら、それを簡単に行ってしまう存在があります。それは情報を発信する【メディア media】です。メディアが事実を恣意的に発信しなければ、自然と事実は隠蔽されてしまうのです。

私たち一般市民は日々の暮らしのために働いています。このため、世界の森羅万象を自分で見聞きする時間はありません。そこで、私たちはメディアに対価を支払って情報を得ています。

当然のことながら、メディアも経済的な理由から森羅万象のすべてを情報として顧客に提供することはできません。そればかりか、メディアは基本的に営利企業であるため、利益を生まなければなりません。<利益=売上-コスト>なので、メディア報道においては、売上を増加させてコストを低下させるような力学が作用します。ここにメディアの経済的都合による報道コンテンツの【議題設定 agenda setting】が行われることになるのです。

また、メディアという団体だけではなく、メディアという団体の構成員にも個人の出世欲や社会の支配欲といった自己実現のために恣意的な報道を行う余地が生まれます。

このメカニズムは団体としては利益を生む必要がない公共メディアでも同様です。例えば、視聴率を上昇させれば人事評価が高まって出世の道が開きますし、放送内容を私物化して大衆操作を行えば社会を支配することも可能です。ここに様々な思惑が入り乱れて報道が偏向していき、最終的に団体あるいは個人に不都合な事実の【隠蔽 concealment】が行われることになるのです。

誤謬の形式

論者Aが事実を主張する。 論敵BがAの主張を否定あるいは無関心を示す。 第三者CがBに同調する。 情報受信者DがAの主張を記憶から消去する。