何故、ロシアがあのような暴挙に出たか、ということを想像すると、それは、共産主義と決別するという非常にタフな選択をしながらも、欧米諸国に少なくとも欧州の安保という文脈では一緒の枠組みに入れてもらえなかった、という冷戦末期から今に至る30年超の歴史の中で形成された彼らのアイデンティティの問題がある、ということになる。

更に言えば、その前(冷戦期以前)からのロシアの歴史(ロシアという国家の起源ともいうべき場所であるウクライナとの関係など)や、例えばプーチンという指導者の人格形成の歴史も含めて、彼らのアイデンティティとその形成過程を想像する必要がある。

プーチンの両親は、凄惨を極めたレニングラード攻防戦の生き残りで、母親は一度餓死したと判断されたという説もあるわけだが、そういう背景を見ると、やたらとウクライナ侵略に際してネオナチ批判を繰り広げ、怯えの反動とも言える攻撃を繰り返す理由なども理解はできないまでも、認識はできる。

そしてハイフェッツ教授は、そうしたアイデンティティ形成の背景を想像してみることだけでなく、そこから一歩踏み込んでの“リ・ネゴシエイト”、すなわち、再度、自己や他人のアイデンティティを再交渉すること、つまりは認識の転換を伴う思考の重要性を説くわけだが、昨今の国際社会、或いは国内における分裂・分極の時代にあって、想像力の重要性を再認識させる気迫の講義であった。

そのような他者のアイデンティティ形成を巡る様々な事象についての想像力を持つことは容易ではない。実際、対象への愛・寄り添う気持ちを持った政治的指導者、特に自己をサポートする側ではなく、対立する側への想像力まで働かせてアクションを起こせる人々が、今の世の中にどれだけいるだろうか。

目で見えること、数字で図れることしか見ようとしない合理全盛の世界にあって、そのような困難な作業が必要とされる政治という分野から目を逸らして(誰かがやってくれるだろうと主体性を放棄して)、私を含む多くの個人は目の前のビジネスに、マーケットというゲーム版の上で、特に負ける側への想像力を働かせることもなく、今日も粛々と汗をかく。