また弁護士ドットコムニュースが以下のような記事「「排泄物放置事件」めぐり立憲民主党を揶揄、ネット投稿者の情報開示命じる…東京地裁」にして報じてもいる。
Twitterなどに書き込まれた内容が名誉毀損にあたるとして、立憲民主党(泉健太代表)が起こした裁判で、東京地裁(長尾崇裁判官)は3月23日、権利侵害を認めて、投稿者の情報開示をプロバイダに命じる判決を言い渡した。
同記事では長尾裁判官がパンパカ工務店氏の個人情報開示を命じた理由についてこうある。
極めて低俗かつ卑猥な表現の仕方で原告の社会的評価を低下させようとする意図のもとにされていることは明らかであって、各投稿は、その表現の仕方の点において政党に対する表現の自由として最大限に尊重されるべきであるという類いのものではないというべき
失礼かもしれないが、パンパカ工務店氏のツイートに対する評価は長尾裁判官の考えとほぼ同じだ。ただし、或る一点を除いて。
「政党に対する表現の自由として最大限に尊重されるべきであるという類いのものではない」との指摘にまったく同感だが、表現自体を制限しかねない司法権の介入にはどうしても首肯できない。司法判断によって表現に正邪高低の基準が設けられれば、それが検閲の呼び水となって、結果的に社会の自由度を著しく低下させることになるからだ。特に政治家(むろん政党も含む)や政府、法曹三者のような国家の三権力に対するからかいの類はたとえ低俗かつ卑猥であっても認められる社会であってほしい、と個人的には考えている。
少し前にこんな記事「スラップ訴訟には罰則を科すべきだ」を書いたのも同じ動機によるものだ。何かを表現をすれば、無視されない限りかならずなんらかの批判を受ける。パンパカ工務店氏のツイートにも立民党支持者らを中心にたくさんの批判が寄せられたはずだ。SNSがこれだけ普及している現代なら尚更だろう。あらかじめ表現させないのではなく、誰かの自由な表現がそれを認めない人びとから批判を浴びる。その繰り返しが保障されていることこそ自由主義社会の基盤だ、と固く信じている。
今先進国は、例外なくポリティカル・コレクトネス(以下、ポリコレ)が巻きおこす嵐のただ中にある。一部の国民が彼らの信じる正義によって国全体で表現や行動を禁じようとする動きには、嫌悪しか湧かない。ポリコレを掲げるのは自由だが、それを拒否する自由のない国家は社会主義国だ。
何度も記事に書いてきたが、この国の自称リベラルは、ほとんどが似非リベラルで、本質はアナクロ社会主義運動の継承者たちにすぎない。無力な個人を告訴して黙らせようとする立民党の振る舞いは、彼らが真のリベラルではないことを自ら喧伝しているに等しい、と感じる。
立民党は今後どうするつもりなのか。告訴を取りさげずにこのまま裁判を進めるのだろうか。
今年3月、ちょうど同じ図式の裁判に注目すべき結果が出たことを弁護士ドットコムニュースは報じている。