■ ドラクエ6、7における勇者はひとつの「職業」
前作では主人公の息子が勇者という、突然の変化球を投げられたことによる戸惑いがありましたが、続く6においては、その扱いがさらに大きく変化。なんと作中における「職業」のひとつとなっており、努力次第でだれでも勇者になれるという、仰天の設定となりました。
ただし、主人公のみ他のキャラクターと比較して勇者になることが容易であったり、後に天空装備と呼ばれる「ラミアスのつるぎ」「スフィーダのたて」といった伝説の武具を主人公だけが装備できるという特別待遇があるなど、その存在は限りなく4までにおける勇者に近しい存在と言えそうです。
続編となる7においても勇者は職業のひとつとして扱われますが、今回は主人公だけの特別待遇はなし。パーティーメンバー全員がフラットな条件で勇者になることが可能となりました。
しかしながらその条件は「上級職を3つマスターする」と非常に厳しく、なったとしても「ゴッドハンド」や「天地雷鳴士」といった上級職と習得技が被ったり、能力で劣っていたりと、まさに器用貧乏。過去作と比較し、勇者の扱いがやや不遇となってしまいました。(救済措置?としてリメイク版では大幅に強化された模様)
つまり、この頃の「勇者」は絶対的なオンリーワンでは決してなく、頑張れば皆がなれるという、ある意味では”軽くなった”と言える存在に。しかしながら、大事なことは肩書きではなく、生きる中で何を成したか。勇者という言葉の扱いに、そんなメッセージ性が隠れてるような気がしてなりません。
■ ドラクエ8、9、10でさらに脱勇者が進む
以降の続編では、しばらく「勇者」の存在自体が薄まります。主人公が勇者として扱われないのはもちろん、職業での勇者が登場することもなくなり、その名称だけが劇中の一部に登場するような扱いに変化していきます。
シリーズ初のオンライン専用ソフトとなった10では、NPCキャラとして「勇者姫アンルシア」という4以来となる女性勇者が登場。主人公はアンルシアを手助けする「導きの盟友」として立ち回ることとなります。
勇者の肩書きを持つ者を登場させないことや、仲間キャラの一人にすることで、「誰でもがなれる存在」から「どれだけの努力を重ねてもなれない」という位置付けに。ある意味では勇者という存在の特別感が、さらに強まったと言えるでしょう。