日本でも「墓地、埋葬等に関する法律」は次の通り土葬を禁じていない。

第2条 この法律で「埋葬」とは、死体(妊娠四箇月以上の死胎を含む。以下同じ。)を土中に葬ることをいう。

2 この法律で「火葬」とは、死体を葬るために、これを焼くことをいう。

3 この法律で「改葬」とは、埋葬した死体を他の墳墓に移し、又は埋蔵し、若しくは収蔵した焼骨を、他の墳墓又は納骨堂に移すことをいう。

4 この法律で「墳墓」とは、死体を埋葬し、又は焼骨を埋蔵する施設をいう。

5 この法律で「墓地」とは、墳墓を設けるために、墓地として都道府県知事の許可をうけた区域をいう。

つまり、埋葬とは死体を土中に葬ることを指すとあるのみで、死体が火葬されていることを要件とはしていない。その上で4として、墳墓とは、死体又は焼骨を埋葬する施設をいう、と念が入れてある。そして5では、墓地には都道府県知事の許可が要ると謳う。

「法的」には上記の様だが、「土葬」と「火葬」の「本質的精神」については、中国古典の泰斗加地伸行が「沈黙の宗教 儒教」(94年7月初版、ちくまライブラリー99)で次のように解説している。

人は、あるいは言う。現代日本では土葬ではなくて「荼毘に付す」、すなわち仏教流に火葬しているではないかと。それは誤解である。なるほど日本では火葬と言っているが、そうした焼いた骨をインド人のようにそのまま川に捨てるなどということは絶対にしない。焼いた骨の内何個所かから、かつての肉体の特徴的な部分(たとえば、のどぼとけの骨など)を拾い、墓に納めている。すなわち、焼身処理をした遺骨に対して納骨式土葬を行っているのであり、いわゆる遺体をそのまま埋める土葬の精神と本質的には違わない。

加地はこの記述の前に、儒者の考える人間とは、精神と肉体とから成り立っている「心身二元論」だとし、精神を主宰するものを<魂(こん)>、肉体を支配するものを<魄(はく)>と言うとする。そして「心身二元論」はデカルト以降の西欧的思想だが、孔子の儒教は歴としたそれだし、敢えて言えば老荘思想にもその傾向があると述べる。

すなわち、人が死ぬと<魂>は天に浮遊し、<魄>は地下(と言っても、人が関われる浅い所)に行くと言う。つまり、<魂>の偏である「云」は雲を、<魄>の偏「白」は「白骨」を意味し、ゆえに死体処理とは肉体の白骨化が究極の目的であって、それを管理するために墓があるのだそうだ。そう書いた後に、前述の引用部が続くのである。

加地は、儒教文化圏、特に現代日本に火葬が普及した理由として、墓地の確保が困難になり、個人墓から家族墓に移行したことや、日本人には汚いもの、いやなものは焼き払ってきれいにするという感覚があることを挙げる(先述の通り近年の台湾も同様か)。そして真にこの「感覚」が、日出町の回教墓地問題膠着の要因だった訳である。

日出町の回教墓地問題の経緯は、「『土葬はダメ?』海外取材に憧れた私が大分でお墓にこだわる理由、それは一人のムスリムとの出会いだった」と題する、如何にもNHKらしい情緒に訴える式の1万字を超える「NHK取材ノート」(22年2月21日)や、脚注を含めると更に長い上に硬派の、九州大学法学部の梅津・大谷・濵田・柳原4氏による論文「ムスリムの土葬墓地受け入れ問題について」(第39回静岡自治研集会 第9分科会で報告)に詳しい。

それらに拠れば、回教の戒律は土葬以外の埋葬方法を禁止していて、遺体は速やかに「聖水で清めた布で巻き、顔をメッカの方角に向けて」土葬しなければならない。一方、日本には約20万人の回教徒がいて、うち約5万人は日本人だが、土葬墓地は令和3年6月時点のNHK調べで9か所(北海道1、関東6、関西2)、中国・四国・九州にはないため、九州の約1万6,400人の回教徒は遠く離れた墓地を使う不便を強いられている。

こうした状況下、「協会」は10年以上前に土葬墓地の用地探しを開始、18年に日出町山中にある約8千m2の土地(100人分)を購入した。近くには大分トラピスト修道院の土葬墓地があり、既に8人の修道士*が土葬されている。近隣にある飲用水として利用される溜池は、「協会」の墓地予定地より修道院の方が約400m近いが、これまでの水質調査で汚染が確認されたことはなく、周辺に住宅や農地がないことから、「協会」は日出町に墓地設置の許可を求めた。

*同修道院は80年に開設された男子修道院