5月8日、大分県日出町でここ4年余り膠着していた回教徒(本稿ではイスラム教を回教、イスラム教徒及びムスリムを回教徒とする)のための土葬墓地建設計画につき、「別府ムスリム協会」(以下、「協会」)と地元住民(以下、「住民」)が9日にも合意に向かうことが報じられた。

筆者には土葬や回教墓地についての原体験がいくつかあり、また土葬と火葬の本質的な精神に違いがないとする書物を読んだことがあったので、この進展を歓迎しつつ記事を読んだ。

ところが「協会」と「住民」が協定した9日以降、日出町および隣の杵築市に対し430件以上の反対意見がメールや電話で寄せられ、中には差別的な文言を含むものもあると「テレビ大分」が26日報じた。実に残念なことだが、それには、土葬に関する法令や宗教上の慣習、あるいは日出町でのこの一件の経緯に対する情報や知識の不足もあるかと思われる。管見の限りだが、以下にその辺りをまとめてみたい。

先ずは筆者の原体験を三つ。筆者が大阪で在勤していた昭和50年代半ば、取引先の20代の担当氏がある日休暇を取った。「墓穴掘り」が理由とのことなので後日話を聞くと、氏の住む奈良県田原本の郊外は土葬で、いわゆる「向こう三軒両隣」の男達が墓穴を掘るのだという。協力しなければ「村八分」(二分は火事と不祝儀)になるそうで、都会育ちの筆者は思わず唸ってしまった。

二つ目は漸くコロナが下火になった本年3月末、二年前に嫁ぎ先の米国で88歳で亡くなった叔母の、夫と子(筆者の叔父と従弟妹)7人が、菩提寺に叔母の遺灰を納めるべく来日したこと。叔父は、残りは自分と一緒に葬るから少ししか持って行かないと言っていたが、300gほどあったか。墓地の山に一部撒いて良いかと聞かれたが、この場所は法律で禁じられていると筆者。

最後は台湾に在勤した10年前。本欄にも書いた「高雄日本人慰霊塔」のある覆鼎公墓の一角に「回教公墓」があったこと。それは覆鼎金公墓の公園化に際し、「日本人慰霊塔」と共に撤去を免れた大坪興一の墓の隣にあった、石棺を思わせる階段状の区画。筆者は「土葬」と直感したが、公園化で更地にされた。

「高雄回教公墓」筆者撮影

知人の台湾人(50歳代)は、土葬は禁じられていないが近年はほぼ火葬と言う。が、彼の祖父は田んぼに土葬された後、何年か経って骨を掘り出し納骨堂に納めたそうだ。筆者が、大陸の客家は「洗骨」といって一旦土葬した骨を掘り出して洗い、それを納めた骨壺と共に中原から広東、そして重慶へと移動したと話すと、父祖が福建出の彼は、「閩南地域では“撿骨”と言うよ」と教えてくれた。