我々は皆、『広島の市民』です。世界80億の民が全員、そうして『広島の市民』となった時、この地球上から、核兵器はなくなるでしょう。私はそれを信じています。今回、私は、そうした想いで、ここ広島で世界の首脳たちに集まっていただきました。夢想と理想は違います。理想には手が届くのです。我々の子供たち、孫たち、子孫たちが、核兵器のない地球に暮らす理想に向かって、ここ広島から、今日から、一人一人が広島の市民として、一歩一歩、現実的な歩みを進めていきましょう。

現在、ウクライナはロシアからの侵攻により、美しい街並みは破壊され、数多くのウクライナ国民が謂れなき理由によって殺戮され、或いは住む家を失い、国外に脱出せざるを得ない状況になっている。

プーチンは保身のために、他国に侵略し、それを方便に自ら権力の座に座ろうとしている。曰く、ウクライナはナチ政権であるとか、NATOは東進しロシアに攻め込もうとしているとか、ロシアの資源を狙い欧米はロシア連邦の解体を目指しているとか、国際社会から見れば、およそ妄言としか思えない理由でウクライナに攻め込んだ。挙句、はるか歴史の彼方に埋没したロシアの起源説まで持ち出して、今回の侵略行為を正当化しようとしている。

そのロシアによるウクライナ侵攻の過程において、侵攻当初から懸念されていたのが、プーチンによる戦術核使用の可能性だ。

ことプーチンの思惑と違い、ウクライナ国民がゼレンスキー大統領の元、一枚岩になることで国際世論は大きくウクライナ擁護に傾いた。大変失礼な言い方をすると、或いはウクライナは早々に白旗を揚げ、プーチンとの間に妥協点を見出すのではないか? と見られていたのだ。

見方によっては、ウクライナの広大な穀倉地帯にパイプラインを通し、欧州へのエネルギー供給で外貨と政治的影響力を行使しつつ、ロシアの国内経済の不安定化から来る反プーチンの動きを押さえつけたかったプーチンの大きな誤算は、ウクライナ国民をはじめ国際世論は力による現状変更を許さなかったと言う事実だ。

ロシアを擁護する一派は、ロシアの背後にはもっと強大な「何か」がいるんじゃないか? とか、ロシアにも言い分はあるなどとしたり顔で言うが、力による現状変更が正当化される理由はどこにも無い。そして何より、プーチンの思惑は国際社会から見透かされている事実だ。

そしてこれらの最も大きな懸念が、プーチンの戦術核使用の可能性だった。

ところが、いつまで経っても、プーチンは戦術核使用を決定しなかった。ワグネルのプリゴジンも、チェチェン共和国のカディロフ首長も、またロシア国内のプーチン支持派の一部も早々に戦術核使用に言及し、またプーチン自身もベラルーシに戦術核の下準備を支持するなどきな臭い動きはあったが、これまでのとことプーチンは戦術核を脅しの材料にしか使っていない。

これは何を意味するか?