我が国では、何よりもまず、国際法に違反してウクライナを侵略したロシアが同国から引き揚げなければならないと強く主張されている。確かに、これは道徳的には正しい。しかしながら、道徳から現実を推論するのは非論理的であろう。残念であるが、道徳が現実を形成するわけではない。道徳的に受け入れがたい結果になる可能性が無視できないのであれば、われわれは、それを受け入れざるを得ない。
この戦争では、既におびただしい人命が失われており、今後も死者の数はさらに増えることになる。ある調査によれば、ロシア軍の死亡者数を証拠に基づいて推定すると、35,000人(2023年3月時点)になる。ウクライナの戦闘員の死者はおそらく20,000人を超える。ウクライナの民間人の死者数については、非常に大まかな初期推定値として、戦争の直接的影響(砲撃など)による死者が2万人、間接的影響(必須医療へのアクセス不足など)による死者が2万人となる。
最近開示された米国情報機関の見積もりでは、2023年中には戦争が終わらないと予想されている。核兵器使用の可能性を除けば(可能性は低いがゼロではない)、戦争は終結するまでに合計60万人の命を奪うことになるかもしれないのだ。
これは不気味で気の滅入るような数字と予測であるが、実は、半年以上前から、こうなることは指摘されていた。国防アナリストのウィリアム・ハートゥング氏は、昨年の10月時点で、こう警告していた。
ロシアの侵略から自衛するためにウクライナに援助を提供することは意味があるが、戦争を終結させる外交戦略を持たずにそうすることは、ウクライナの人道的苦痛を大幅に増大させ、米ロの直接対決にエスカレートする危険性のある、長く、過酷な紛争にしてしまうリスクがある。
日本のみならず欧米の指導者や識者が、ロシア・ウクライナ戦争をマニ教的な善悪の戦いという二元論で語ることは、健全で客観的な分析を妨げるだけでなく、我々の戦争への理解を一定の方向に誤導する重い代償を伴っていると言わざるを得ないだろう。
フランシス・ベーコンは、近代科学が花開こうとした約400年前に、「人間は真実であってほしいと思うことを信じてしまうものである」と喝破した。「真実であってほしいこと」と「真実になりそうなこと」は違う。これらを混同しないことが、戦争の予測をより正確なものにする第一歩になるはずだ。